第651回 「ニッポン国VS泉南石綿村」
第18回東京フィルメックスのコンペテション部門で審査委員長を務めた原一男監督は、審査では最優秀作品賞を2作品に同時受賞させるなど意欲的な選考を進めながら、特別招待作品として上映された自分の作品については、上映後のQ&Aで「おもしろいのかどうか自信が持てない」とためらう気持ちを正直に披露。その作品が山形国際ドキュメンタリー映画祭に続く2度目の観客賞に選ばれると、「自信を持っていいんだな」と確認するように喜びをかみしめた。強気と弱気の混在。ある意味、今回のフィルメックスは原一男監督の映画祭だったともいえるだろう。
「ゆきゆきて、神軍」や「全身小説家」など、年度を代表する傑作を相次ぎ撮ってきた原監督だが、今作は最初から具体的なイメージがあったわけではないという。何を描くべきかを探るために撮っていく「倒錯状態」だったというのだ。撮影に8年、編集に2年の計10年。こだわってきたものの中身がようやく結実した。
大阪府泉南地域に集中する石綿(アスベスト)工場の元従業員や家族、近隣の住民が健康被害を受けたとして、危険を承知しながら対処しなかった国を相手に国家賠償請求訴訟を起こした、いわゆる「大阪・泉南アスベスト国賠訴訟」の全貌を記録したドキュメンタリーだ。
石綿工場の元従業員たちが結成した「市民の会」の調査などに原監督のカメラが同行し、裁判闘争や原告たちの人間模様をつぶさに記録する。双方が信頼しているからだろう。被写体となった人がカメラを意識しない映像は、どこにでもいる庶民の生活をつづっているようにも見える。しかし、2006年の提訴(1陣訴訟・被害者26人)以来、長引く裁判は原告たちの身体を確実にむしばんでいった。
原告団の佐藤美代子さんは、夫の健一さんが肺がんで亡くなる1週間前に原監督の撮影を受け入れた。「ときには泣きながらカメラを回し、私たちの思いを受け止めてくれた」と舞台あいさつで紹介し、監督に全幅の信頼を寄せていることをうかがわせた。
一方、監督は215分という長尺を意識してか、「前半と後半が同じだと思わないでください。転調があります」とわざわざ予告し、最後まで見てほしいと呼びかけた。
前半は原告団一人ひとりが紹介されていく。ところが後半に入ると、原告団の動きは不穏な様相を見せ始める。13年12月の第2陣大阪高裁の判決で勝訴した住民側は、国に対し最高裁への上告を断念させるための支援集会を14年1月、厚労省前で予定していた。その当日、市民の会代表の柚岡一禎さんが独断で首相官邸に向かい、安倍首相に直訴する建白書を渡そうとし、官邸前で押し問答となったのだ。面会は叶わず、柚岡さんたちが厚労省前に駆けつけた時はすでに支援集会も終了しており、「原告のいない支援集会などあり得ない」と弁護士の一人から激しく叱責される。
突然のハプニングが起きた背景を考えると、一つは原監督が柚岡さんを含む原告団を「挑発」していたことが挙げられる。もちろん、10年5月の大阪地裁1陣訴訟1審判決以降、1・2陣を合わせ、裁判で次々と負けるたびに、高裁、最高裁へと控訴、上告を繰り返す国側の対応に怒りのエネルギーをため込んでいたということもあるだろう。
しかも裁判の長期化は、病気の治癒までは望めなくとも「なんとか裁判に勝ってあの世にいきたい」と願う原告の人々の最後の希望をも奪っていたのだ。
見どころは続く。14年5、6月にかけて原告らが厚労省に出かけ、当時の田村憲久厚労相との面会を求めた21日間の攻防だ。最初に応対したのはいかにも若い事務官2人。「会わせてほしい」「できません」「あなたではだめだ。上司に会いたい」「今日のところはこのへんで」と、回答にならない回答の繰り返しで、原告団のフラストレーションは増していく。一方、交代で対応する事務官の顔には苦悩の表情が浮かぶ。原監督のすごいところは批判だけでなく、板ばさみ役の職員をもきちんと人間として描いているところだ。
山あり、谷ありの長期にわたる裁判闘争で、14年10月の最高裁原告勝訴判決はもちろんハイライトだ。だが、塩崎恭久厚労相が泉南に足を運んで、3日前に亡くなった原告団の1人である松本幸子さんの仏前で謝罪する場面は、日本の公害裁判の長い歴史においてエポックとなる象徴的なシーンであり、その影響は国内だけでなく、広く世界に及ぼすことになるであろう。
そのような場面でも原監督のカメラは冷たく無表情な厚労相の目をしっかりとらえていた。
8年に及ぶ裁判闘争を収めた映像は、この間に起きた様々な表情をわれわれに見せてくれる。原告の人々と弁護団、そして原監督の3者の間に起きる葛藤や、一部の被害者の賠償を認めない「被害の線引き判決」による動揺、そして被害者の孤独死。
マイナス面ばかりではない。家が貧しく学校に行けなかった松本玉子さんは、夫の死後夜間中学で初めて文字を学んだ。彼女の書いた詩には学べることと文字を書くことができることの喜びがつづられる。母親を亡くし、自身も体力の衰えを感じる岡田陽子さんの家では、いつの間にか裁判闘争の手伝いをする息子の姿が見られるようになった。苦労をする人がいれば、周りの家族は育つということだろうか。
原監督も観客賞の受賞がプラスになったようで、本作と並行し製作を進めて12年となる水俣病の映画について、「頑張ろうという気持ちになっています。なんとか1年後に完成させ、ここ(東京フィルメックス)で上映できるようにしたい」と授賞式で語った。
「ニッポン国VS泉南石綿村」は18年3月、ユーロスペースにて公開。【紀平重成】
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