第658回 「消された女」

「消された女」の一場面。拉致されたカン・スア(カン・イェウォン)
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韓国には精神保健法という法律があり、その第24条には保護者2人の同意と精神科専門
医1人の診断があれば本人の同意なしに保護入院(強制入院)できるという条文がある。
これを悪用して、資産を守るため元妻を精神科病院に送ったり、離婚するため夫を精神科
病院に入れるなど、まるでドラマのような事件が相次いでいるという。本作は実際に起きた拉致・監禁事件をモチーフに作られた、他人事とは思えないサスペンス・スリラー作品だ。

事件に興味を持つイ・ナムス(イ・サンユン=右) (C) 2016 OAL, ALL RIGHTS RESERVED
ソウルのオフィス街を白昼一人歩いていたカン・スアは、突然正体不明の男数人にワゴン車の中に押し込まれ、精神病院に監禁される。強制的な薬物投与や暴力など受け入れ難い拘留が続く中、彼女は病棟での出来事を克明に手帳に記録し始める。それから一年後、人気ニュース番組のプロデューサー、ナ・ナムス宛にその手帳が届く。やらせ番組の責任を問われ干されていたナムスは、手帳に記録されていた信じがたい事件の真相を暴くことが現場復帰の決め手になると考え、彼女に会いに行く。

事件のカギを握る男に取材するナムス (C) 2016 OAL, ALL RIGHTS RESERVED
そのスアは監禁されていた病院の火災事故で唯一の生存者。しかも継父である警察署長の殺人事件容疑者として収監されていた。二つの事件につながりはあるのか。なぜスアはナムスを警戒するのか。取材を重ねるごとに背後にある闇が明らかになっていく。
この作品が観客を引き付けるのは、一つには精神保健法第24条を悪用し、家族ら保護者が健康な人を本人の同意なしに精神科病院に強制入院させる事件が繰り返されているという実態を背景にしているからではないか。韓国の私設精神科病院では入院患者の7割が本人の意志に反する強制入院というデータもあるという。

ナムスはスアへの聞き取りを繰り返すが…… (C) 2016 OAL, ALL RIGHTS RESERVED
この法律は、その後憲法違反と判断され、新たな法整備が進められていると聞くが、長らく悪用されてきたのは、精神病への社会的偏見と、それを拠り所に家族を監禁してでも利益を求めたいという個人的欲望、さらには長期入院で収益増を図りたい病院側の都合も絡み合ってのことだろう。人を根っからの善人悪人としては描かず、誰でも同じ過ちを起こし兼ねない弱い人として見つめる眼差しは、告発調とは違う味わいを出している。
またテレビ局が番組を面白くするため、やらせの映像を作るという一部業界の「慣行」を巧みに脚本に取り込んでいることも、昨品のリアル感に貢献している。プロデューサーのナムスが番組の核心をつかみきれないで追い込まれていく描写はスリリングだ。イ・チョルハ監督は本来は社会派のドキュメンタリー向きの題材をサスペンス・スリラーというエンターテインメント作品に仕上げた腕は卓越しているといえる。

拉致ににおびえるスア (C) 2016 OAL, ALL RIGHTS RESERVED
主人公のスア役に「ハーモニー 心をつなぐ歌」のカン・イェウォン。TVプロデューサーのナムス役にイ・サンユンが扮し、それぞれ劇中の人物になりきっている。
それにしても、拉致・監禁と同意なしの長期入院。これだけは誰しも同感だろう。「映画の中だけのことであってほしい」と。
「消された女」は1月20日より、シネマート新宿ほか全国順次公開中。【紀平重成】
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