第661回 「苦い銭」
作品のタイトルがよく似ていて、すぐに連想するのはイタリア映画「にがい米」である。ジュゼッペ・デ・サンティス監督がグラマー女優のシルヴァーナ・マンガーノを大抜擢した1949年の作品。大がかりな田植えシーンを取り入れるなど戦後のはつらつとした息吹を感じさせる同作品はイタリアで大ヒットし、日本でも公開されている。
アクションもある同作品とワン・ビン監督のドキュメンタリーとでは、違いの方が多そうだが、タイトル以外でも共通するのは、お金を稼ぐために貧しい地域から季節労働者が大移動し働く姿を描いているところ。「にがい米」ではイタリア南部から大勢の女性が列車で移動し、北部のポー川下流域に広がる水田地帯で田植え仕事に汗を流す。
一方、本作品では、中国の雲南省や貴州省、江西省、安徽省、河南省といった内陸部の貧しい地域から出稼ぎ労働者がバスや列車を乗り継いで行き、上海にやや近い浙江省湖州市の小さな縫製工場で働き始める。水が高いところから低い方へ流れるように、貧しい地域から豊かな場所に出稼ぎ労働者は移動する。その意味では極めて今日的かつ普遍的な題材と言えるだろう。
撮影が行われた湖州市は、実に住民の80パーセント、30万人が出稼ぎ労働者という。数字を聞いてもピンとこないが、カメラの存在をまったく感じさせない登場人物の自然な表情を長回しのカメラでとらえた映像からは、一心に働く少女たちの若木にも似たしなやかさから、故郷に残した家族を思いつつ酒におぼれてしまう中年男の悲哀までうかがうことができる。
「鉄西区」以来、「無言歌」「三姉妹 雲南の子」「収容病棟」と様々な作品で現代中国の側面を力強く描き出してきたワン・ビン監督が今回のテーマに選んだのは、「民工潮」と呼ばれる出稼ぎ労働者たちにフォーカスし、寄り添った逸品。
出稼ぎで得たお金の使い道は人それぞれだが、工場や宿舎のベッドで交わされる会話は、カネ、カネ、カネ。少しでも稼ぎを多くするために役立つ情報を求めての駆け引きが日々繰り返される。
社長が縫製加工賃として1着9元(1元17円=2017年10月現在)を提示したことに対し、「10元以上が相場だから9元じゃ誰もやらない」と冷笑するベテランの男性工員。商品を社員価格まで値引きしたかのように示し「スカートが要るなら40元でいいぞ」という社長に、すかさず「社長の気前のよさは2元ね!」と返すベテラン女工員。そうかと思うと、仕事に自信のない男性工員は「1日150元稼げる奴もいる。俺みたいに70元しか稼げないのはダメだ」と自虐的に語り、「次の職場もダメだったらもう故郷に帰る」と帰郷願望を募らせる。事情通を装う最初の男性工員はマルチ商法に関心があるようで「1人騙せば1500元の儲けだ」とうそぶく。
何を語るにしても実体のない仮の金額が次々と挙げられ、当の本人ですら信じていないことが伝わってくる。そんなお金に従属してしまう人間って何だろう。
ともあれワン・ビン監督の「マジック」に掛かって次々吐き出される面白おかしい言葉を拾い集めた本作は、16年のベネチア国際映画祭オリゾンティ部門でドキュメンタリー作品ながら脚本賞に輝いた。16年の東京フィルメックスでも特別招待作品として上映されている。
ところで、同じ出稼ぎ労働者を扱った中国映画にジャ・ジャンクー監督の「罪の手ざわり」がある。広東省の工場で働く若者が追い込まれて自殺するという悲劇的なタッチなのに対し、ワン・ビン監督は人が交差するたびに、フォーカスする対象を乗り換えていく。そのふわーっとしたカメラワークが軽やかで、登場人物も精神的に追い込まれていく人は出てこない。対象を乗り換えていくタイミングが絶妙で、しかも新たなターゲットに必ずドラマが生まれ、引き込まれていく。そのとっさの判断は勘としか言いようがない。そしてそれこそがワン・ビン監督作品の魅力と言っていいだろう。
現状に不平はあっても、走らざるを得ない中国人の悲哀が伝わってくると同時に、そんな彼らを優しいまなざしで見つめ、予想外のユーモアで包み込んでしまう作風に、改めて感心する。次はどんな作品に出合えるだろうか。
「苦い銭」は2月3日より、シアター・イメージフォーラムほか全国順次公開中【紀平重成】
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