第669回 「名もなき野良犬の輪舞」
犯罪映画である。一説には、このジャンルの作品はアメリカで人気を集め、やがてフランス、香港、韓国へと伝わったという。これには異論があり、アメリカから日本経由で香港に渡り、それが韓国や再び日本、さらに「本国」のアメリカに還流したという説もあるようだ。映画は越境性の高いメディアなので、おそらくどの見方も正しいのだろう。本作のビョン・ソンヒョン監督自身も「過去に私が楽しんできた映画すべてが参考になった」と言っているのだから。
同じ犯罪映画といってもアジア映画の場合は家族のように固い絆で結ばれた者同士が結束し闘うという話が多いが、この作品では裏切りが交錯して何を信じたらいいのか分からなくなった主人公たちに焦点が絞られていく。本来なら愛と憎しみでドロドロとした復讐劇になるのをスタイリッシュな見せ方で観客をグイグイと引っ張っていく。
いつか犯罪組織のトップになろうと夢見るジェホ(ソル・ギョング)は、刑務所でやんちゃなうえ度胸も抜群の若者ヒョンス(イム・シワン)に出会う。周りの人間を誰一人信じることなく生きてきたジェホだったが、とうとう命まで狙われ、あわやのピンチを救ってくれたことで初めてヒョンスという人間を信頼する。出所後、二人は手を組み、犯罪組織を乗っ取ることに成功するが、互いに相手には決して言えない秘密が明らかにされ、揺るぎのなかった信頼関係はガラガラと崩れていく。
犯罪映画なので見ているのがつらい残酷なシーンはもちろんある。しかも騙したつもりが逆に裏切りにあい、大慌てで逃げるという心身ともに疲労困憊する展開の後に「こんな生き方、うんざりしないか」とジェホがヒョンスに同意を求めるシーンは、まさに闘いに疲れた男たちの悲哀が感じられる。
年の差20歳もある若いヒョンスにジェホが「人を信じるな、状況を信じろ」と諭す場面があるが、演じたソル・ギョング自身は逆に「状況よりも人を信じろ」と伝えたかったという。プレス資料で紹介されているこのエピソードからは、人の道を踏み外す犯罪者役だからこそ、いまさら自分を信じろとは言えないものの、どこかで人を信じなきゃ、やってられないよ、とジェホの心理を代弁する彼の切ない思いが伝わってくる。演じるソル・ギョングがいかにジェホ役にのめりこんでいたかを示すお話だ。
そしてもう一つ。この作品から導かれる教訓は、敵対する双方が疑心暗鬼の状態を乗り越え、裏切られてもいいからともかく相手を信じるという決意でもしない限り、争い事は解決しないということなのだろうか。派手なドンパチやアクション満載のエンターテインメント作品だが、考えさせるセリフは多い。いや、それほどにぎりぎりまで人を信じることの意味を突き詰めていく作品ともいえるだろう。
誰かを信じたかった男と、誰も信じられない男。出会うはずのなかったそんな2人に「信じる」ことについてかみ合う時は来るのだろうか。
ビョン・ソンヒョン監督は過去の作品を参考にするだけでなく、より面白い作品にするため大いに努力したという。たとえばいくつかの時間軸を並行させて物語を進める手法だ。時間通りなら刑務所から始まってもおかしくない物語が、時間が入れ替わることで二人の出会いがより大きな意味を含むものになり、その後の展開もまた違った味わいになる。
また刑務所で実権を手にしたジェホの実力を表わすために、誰もが知っているある絵画の構図をそっくり取りこむというアイデア。実際にはありそうもないシーンではあっても、過激な描写に肩の凝った身にはありがたい。
ソル・ギョングが「ペパーミント・キャンディー」や「オアシス」「力道山」「殺人者の記憶法」といった作品とはまた違う貫録の演技を見せているほか、アイドルグループ「ZE:A」のイム・シワンが「戦場のメロディ」の主人公と同じ人物とは思えないほど役に入り込んでいる。
「名もなき野良犬の輪舞」は新宿武蔵野館ほか全国順次公開中【紀平重成】
【関連リンク】
「名もなき野良犬の輪舞」の公式サイト