第684回 「バッド・ジーニアス 危険な天才たち」
テストでいい成績を取れば気持ちがいいには違いないが、誘惑もある。解答の確かさを当てにしてのカンニングへの協力依頼だ。中国で実際に起きた集団不正入試事件をヒントに、カンニングをスタイリッシュ、かつスリリングに描いた本作品はタイのアカデミー賞とよばれるスパンナホン賞でメーンの監督賞、主演女優賞、主演男優賞をはじめ史上最多の12部門で受賞。それにとどまらず、香港や台湾、中国、フィリピンなど8カ国でタイ映画の興行記録を更新する偉業を打ち立てた。
カンニングを描いた映画がなぜ大ヒットしたのか。そもそもテストという学校教育の中でもとりわけ公正であるべき行事での不正をいくらスリリングだからといって面白おかしく紹介しても倫理上許されるのだろうか。だが、そこは実力を高く評価されたナタウットプーンピリヤ監督。経済成長著しいアジア各国で共通の社会問題となっている格差社会や激烈な受験戦争をクールに揶揄しながら極上のエンターテインメント作品に仕上げている。さんざん楽しんだ後に、「じゃあ、自分もやってみようか」という気にはなれない「毒」も少々忍ばせながら……。
小学校はオールA、中学校では首席と常に優秀な成績を収め、その頭脳を見込まれて進学校に特待奨学生として転入してきた女子高校生のリン(チュティモン・ジョンジャルーンスックジン)。数学のテストで頭を悩ます友人のグレース(イッサヤー・ホースワン)にこっそり正解を提供したことをグレースの恋人パット(ティーラドン・スパパンピンヨー)が聞きつけ、試験中にリンが答えを教える見返りとして一人につき3000バーツをもらうという取り引きを持ちかける。爆笑必至の初歩的な方法から高度な技を駆使した芸術的手法まで繰り出し、次々と試験を攻略。リンの売り上げも急増する。
こうなると途中でやめられなくなるのが世の常である。打ち止めにしたいという思いより受験生の期待を背に受ける重圧の方が勝り、もう一人の秀才バンク(チャーノン・サンティナトーンクン)も加えたリンたち4人は、アメリカの大学に留学するため世界中で行われる大学統一入試「STIC」という大舞台に挑もうとする。
カンニング一つのためにそこまで鮮やかな犯行システムを作り上げるのかと感心する一方、一つでも歯車が崩れれば元も子もなくなる危うさ。後半28分に渡るカンニング・シーンは怒涛のように迫る画面と音楽の迫力もあって、心臓がドキドキする場面の連続。不正行為と分かっていても彼らを応援している自分に気づくのである。
ジャンル的には「オーシャンズ11」に連なるクライム・エンターテインメント作品だが、中心メンバー4人の参加動機や葛藤が程良く描かれているところに作品の奥行きを感じる。リンの父親は離婚して娘と二人暮らし。頭脳明晰の娘を特待奨学生にして教育費を浮かせることはできたが、カンニングの謝礼で娘が買ってくれた服に喜ぶなど生活に余裕はない。クリーニング業を一人でこなす母親と暮らすバンクも家に帰れば仕事を手伝い、寸暇を惜しんで勉強している。
苦労しながらも実力で留学資格に王手をかけた2人に対し、グレースと恋人のパットは裕福な家庭に暮らし、勉強の方は親の期待にはこたえられず、かといって自分で努力する気持ちはさらさらない。親を少しでも楽にさせたいと願うリンらに対し、留学資格さえ手に入ればと考えるグレースらが手を組んで犯罪に手を染める動機は十分にあると言えるだろう。
カンニングの怖さを知り新たな不正に参加することを渋るリンに対しバンクはこう叫ぶ。「5けたの給料のために4年間勉強するのか」「会社勤めなんて馬鹿らしい」
日本から始まった経済成長の波が台湾や韓国、中国、さらに東南アジアへと広がるとともに、成長の恩恵にあずかれない人々が増えている。その一方で将来の成功を目指して受験競争は激化し留学ブームも広がっている。そんな空気を象徴するように次のような会話が用意されている。
カンニングをめぐって父親と共に校長室に呼ばれたリンは問い詰められた挙句、学校にとっては触れてほしくない寄付金の本質について言及し「ワイロ」と言いかける。学歴社会とは表裏一体の格差社会を皮肉るリンの本音だろう。
ハラハラドキドキの展開は見ごたえ十分だが、リンやバンクら当事者にとっては命を削るような作業で「割に合わない」と感じているはずだ。観客は間違っても「真似してみよう」とは思わず映画の中のこととして楽しむに限る。
監督のセンスの冴えはキャスティングにも表れており、リン役のチュティモン・ジョンジャルーンスックジンのモデルで鍛えた目力と演技力、さらに「9等身」のスタイルの良さに感服。おそらくアジアを代表する俳優になるのではないか。相手役のバンクの屈折した思いを表情豊かに見せたティーラドン・スパパンピンヨーも今後の活躍が楽しみな存在。本コラムの第678回「ポップ・アイ」でもゾウと旅をする冴えない中年男を演じたタネート・ワラークンヌクロがリンの優しい父親役を好演している。
「バッド・ジーニアス 危険な天才たち」は9月22日より新宿武蔵野館ほか全国順次公開
【紀平 重成】
【関連リンク】
「バッド・ジーニアス 危険な天才たち」の公式サイト
(C)GDH 559 CO., LTD. All rights reserved.