第686回 「あまねき旋律」

脱穀したコメのもみ殻を息を吹きかけ飛ばす女性 (C)the u-ra-mi-li project
「あなたがいないと私には何もない」
村で田植えや稲刈りの作業が本格化する時、このように誰かが最初に声を発するとそれに呼応して他の一人も歌い出す。
「一日が短いのは、楽しい時間はすぐに過ぎるから」「好きではない相手でも愛することはできる?」と恋歌を連想させるやり取りもある。

ムレと呼ぶグループに所属する若者たちは作業しながら歌を歌う (C)the u-ra-mi-li project
ここはインド東北部、ミャンマーとの国境近くに位置するナガランド州の棚田。田おこしから田植え、稲刈り、脱穀へと続く一連のキツくて単調な作業の間はいつも「リ」と呼ばれる暮らしの歌があふれ、山々へと響き渡っていく。
人はなぜ働きながら共に歌うのか。人間の営みを根源的に問うインドからの作品は2017年山形国際ドキュメンタリー映画祭・アジア千波万波部門で日本映画監督協会賞と奨励賞をダブル受賞した。

ムレに参加していたころの昔話で盛り上がる女性たち (C)the u-ra-mi-li project
ともかく歌の内容が素朴かつ友愛精神に富んでいていい。
「いい仲間がいれば飢え死にすることはない」「やり残した仕事は自分にのしかかってくる」
労働の歌が多いのは、それだけ厳しい自然に囲まれ仕事が過酷だからだろう。歌の合間にこんな会話がある。
「一人で80キロの稲を運べると思うか?」
「試すのもバカげてる」
「だけど、みんなで運べば何てことはない、みんなで背負えば難なくすべて運べる」
「一人で運んだら、動悸が止まらなくなるよ。友達と一緒なら運べないものはない。協力し合わないと大変なことになる」
「俺たちは幸運だ」
「そうだな。幸運だからこんな仕事ができる」
仕事のつらさを忘れ、集中力と結束力を高めるのにうってつけなのが労働の最中の合唱だ。人はなぜ共に歌うのか?と問われれば、歌自体に人の心を動かす力があり、また共に歌うことで一体感が生まれるからである。一人ではできないことも、みんなで力を合わせれば不可能なことも可能となるし、助け合い精神で厳しい自然の中でも手を携え生き延びることができる。その推進力を担うのが労働歌だったのかもしれない。

円陣を組み歌いながら稲穂を蹴り上げ脱穀していく (C)the u-ra-mi-li project
美しい棚田と、それを維持するため「ムレ」と呼ばれるグループが総出で働く共同作業。古来より守られてきた風景と伝統行事が近代化の波に洗われ変ろうとしている。そのきっかけになったのは、皮肉にもキリスト教の伝来という。ムレに参加しない人が増えたり、歌を歌わなくなったりして、合唱文化の衰退に気付いた教会が自ら文化を再生させることを検討しているという。そんな様子も映像に映し出されている。
棚田と合唱が対象という心を動かさないではいられない文化的なドキュメンタリーでありながら、一時的に画面にザラザラした感触を漂わせたのは銃を持ったインド兵が州内の道路を歩いている場面だ。今から半世紀以上前の1955年から57年にかけて独立志向の強いナガランド州でインド軍は約8万戸の家を焼き払い、その後監視下に置くという不幸な歴史があった。この部分の映像をあえて無音で処理することで、アヌシュカ・ミーナークシとイーシュワル・シュリクマール監督の作品は政治的な圧力へのささやかな抵抗を見せる場面になっている。
両監督はインド南部の出身。2人でインド各地を回っている時に偶然ナガランド州を訪れ、労働と音楽というテーマが浮かんできたという。
かつて日本でも「歌垣」と呼ばれ、特定の日に若い男女が集まり、相互に求愛の歌を掛け合う行事があった。その実態を垣間見るようなドキドキ感を味わうことができる。インド東端の山岳地帯と日本。その文化的つながりは定かではないが、歌をキーワードに男女が集まるという点はよく似ている。実際、映像の中でもムレを抜けた女に対し、男たちが「男はみんな君にあこがれてた。君が去ってみんな悲しんでたよ。それで共同作業をやめた」と昔話をする場面もあり、ムレは男女が知りあう大事な場であったことをうかがわせる。

山のあるところすべてに棚田が広がるインドのナガランド州 (C)the u-ra-mi-li project
作品の見どころは美しい風景と心和む音楽との絶妙なアンサンブルと言えそうだが、男女10人ほどが円になって積み上げた稲を囲み、一斉に蹴り上げながら踊り回っていく人力による脱穀シーンの祝祭的な迫力には圧倒される。冒頭でも水のない前年の稲田跡を男たちがスキで激しくかき起こし、あっという間に耕してしまう田おこし場面も、無駄のない動きと躍動する肉体の美しさに見とれるばかりだ。
「稲作と労働歌」「ムレと青年団」というアジア共通の文化、風習の原初の姿を今なおとどめようとしている映像は見るものに様々な問いかけをしている。
「あまねき旋律」は10月6日よりポレポレ東中野ほか全国順次公開
【紀平 重成】
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