第695回「葡萄畑に帰ろう」
ジョージアと言えば、かつてグルジアと呼ばれていた時代から「世界最古のワイン発祥の地」として一目置かれていた。また近年はソビエト連邦崩壊に伴い政治的な動乱はあったものの、一方で著名な監督を輩出するなど映画作りにおいても輝きを放っている国である。
本作は大臣の椅子に執着した主人公が失脚を機に人生の意義に目覚め、ジョージア人の理想郷である葡萄畑に帰ろうとする姿をユーモアたっぷりに描いた人生賛歌である。
監督は官僚主義を風刺したコメディ「青い山 本当らしくない本当の話」などで知られるエルダル・シェンゲラヤ。国会副議長も務めたジョージア映画界の最長老だが、堅苦しい肩書に似合わず作風は至って柔軟だ。「国内避難民追い出し省」なる怖そうなお役所内を職員がローラースケートで行き交い、特注の大臣の椅子は勝手に空を飛び歌まで歌うというのだから観客は「未来社会を描くSF映画か?」と驚かれるだろう。
さて政府の要職にある主人公のギオルギは、故郷に残した母のことなどすっかり忘れ、仕事に励むよりも大臣の椅子の座り居心地に心を奪われていた。出世競争に明け暮れていたせいか、ようやく手に入れた「果実」を味わうのに夢中で、庶民の気持ちなどお構いなし。そんな父親にあきれて娘も寄りつかない。それでも元ヴァイオリニストのドナラとの新しい恋も始まり、このままずっと順風満帆な生活が続くかに見えた。しかし、騙し合いと忖度が横行する政界に身を置くギオルギだ。ある日突然、大臣をクビになり、不正に入手した豪華な邸宅からも立ち退きを迫られてしまう。
85歳の同監督にとって21年ぶりとなった新作は、政界で自身が経験した権力社会の暗闘をそのままストレートにではなくユーモアとアイロニーで包みこんだ寓話で基本的なスタイルは健在だ。
中でも象徴的なのは空飛ぶ椅子。せっかくつかんだかに見えた椅子(地位)はふわふわして心もとなく、油断すれば振り落とされてしまいそう。またその椅子がバラバラに壊れてもすぐ結合して復活するところは権力欲のパワーと再結集力をリアルに見せつけ、なんだかどこかの国でも繰り返し展開されている現実を彷彿とさせる。
エルダル・シェンゲラヤ監督は政治家や役人をはじめ登場する人たちを一方的に糾弾するのではなく、欲に駆られる人たちにも「それが人間だよ」と優しい視線を送っているように見える。分断と対立という世界の現実を見据えながら監督はジョージア人にとっては心の故郷とも言うべき葡萄畑の豊饒な姿を世界の隅々まで提示しているのではないだろうか。
ジョージアの葡萄畑は日本に置き換えれば稲穂が頭を垂れた田のどこまでも広がる風景である。土の掘り起こしから田植え、稲刈りへと続く作業は昔も今も多くの人手を必要とする。そこで生まれる共同体意識は分断と対立とは相反する考え方である。もちろん共同体にも個人より集団を優先するあまり仲間内で「強制」する力が強まらないかという課題はある。だが本コラムではその問題には踏み込まず、シェンゲラヤ監督が描くようにジョージアの魂とも言うべき葡萄畑を前にしてワインを飲みながら家族や友と語り合うことの楽しさを共感したい。
ワインと言えば日本でも「月曜日に乾杯!」「ここに幸あり」「汽車はふたたび故郷へ」などの公開が続いたオタール・イオセリアーニ監督は大のワイン好きで、映画の中でもワインを酌み交わすシーンが出てくる。また今年「花咲くころ」が日本公開されたナナ・エクフティミシュヴィリ監督も、同作品で事情があって久しぶりに再会した14歳の仲のいい少女2人が祖母の用意してくれたワインをテラスでおいしそうに飲むシーンを印象的に撮っている。
ジョージアは間違いなく今もワイン王国である。
「葡萄畑に帰ろう」は12月15日より岩波ホールほか全国順次公開【紀平 重成】