第700回 「バジュランギおじさんと、小さな迷子」

この世界には憎しみや疑いの心を持って人に立ち向かおうとする人間がいる一方、愛や善意の気持ちをもとに行動しようと考える人たちも大勢いる。本作品にはどちらの人も登場するが、最終的には後者の考えが支持を得て一つの「奇跡」が生まれる。
犬猿の仲の人同士がそんな風に仲良くなれるはずがない、単なるファンタジーだと決めつけることは簡単だ。しかしあの「ダンガル きっと、つよくなる」「バーフバリ 王の凱旋」に次いでインド映画の世界興行収入歴代3位を継続中となると、国や宗教の違いを超えて人間愛に感動できる人が想像以上に多いことが分かる。
とはいえ、そこはインド映画。堅苦しいお話ばかりではなく、泣いて笑ってメッセージもしっかり考えるという欲張りな作品だ。御覧になれば、あなたも主人公のバジュランギおじさんをきっと好きになる。

幼い時から声に障害のあるシャヒーダーは、娘には声を出せるようになってほしいと考える母親に連れられて、わざわざ隣国のパキスタンからインドのイスラム寺院まで願掛けにやってきた。ところが、その帰りの列車で移動中、母親とはぐれ広大なインド亜大陸に一人取り残されてしまう。
途方に暮れるシャヒーダーが偶然見かけたのは、バカ正直でお人好しのパワン。ヒンドゥー教の熱烈な信者のパワンは、ハヌマーン神の思し召しと信じ、シャヒーダーを預かるが、やがて彼女がパキスタンのイスラム教徒だと分かり呆然とする。
英国からの独立以来、長年、激しく対立するインドとパキスタンだ。それでも周囲の猛反対を押しのけてパワンはシャヒーダーを家まで送り届けることを決意する。だが目的地すら分からないうえ、パスポートもビザもないまま国境越えに挑む2人旅は思っている以上に過酷で危険なものだった。

奇想天外な物語と言っていいが、見ているうちに超がつくほどバカ正直のパワンをいつの間にかハラハラドキドキしながら応援している自分に驚くことだろう。その脚本のうまさにも感心するが、手掛けた人が「バーフバリ」のV.ヴィジャエーンドラ・プラザードと聞けばさらに驚かれるはず。バイオレンス満載の「バーフバリ」と人間愛に満ちた本作を書き分け、どちらもヒットさせるなんてどれだけ才能があるのと感心するばかりだ。
泣かせどころはいっぱいある。パキスタンでバスに乗り合わせたほかの乗客が2人連れを怪しんだ際に、事態を知ったバスの乗務員が機転を利かせ「あなたのような人がいれば……(世界はもっと平和になるのに)」と言葉をのみ込みつつ見逃す場面。善意の心が新たな善意を呼び込むという素晴らしいシーンがこれでもかと続く。

そうはいっても長年培われた人種や宗教の対立は一朝一夕には解消できないことも事実だ。現に世界に目を向ければ、対立が解消されるどころか逆に疑念や憎しみを募らせ新たな火種を作り出しているのだ。わが国も同様である。どこかで憎悪の循環の輪を断ち切らないとと思いつつ、手をこまねいているのが現状だろう。
だが映画の中にはヒントもある。5000人のオーディションを潜り抜け多くの観衆を虜(とりこ)にした少女役のハルシャーリー・マルホートラの可愛く表情豊かな笑顔は疑いの心を溶かし人に優しさを引き出す力がある。笑顔の大切さをこれほど明瞭に表した作品はなかったのではないか。
インドでは「3大カーン」として並び称させるサルマン・カーンが肉体派のイメージをかなぐり捨てお人よしの青年(おじさん)を生き生きと演じているのもイメージの不思議さを感じさせる。印象は変えられると言い換えることもできる。

劇中で交わされる「(メディアは)憎しみ(のネタ)には飛びつくが、愛(のお話)では飛びつかない」というテレビリポーターらの会話はメディアの世界の軽薄さを鋭く皮肉っている。
おとぎ話風の中に現実も巧みに織り込んだ脚本はやはり良いと言わざるを得ない。同時に「憎しみではなく愛をもって子どもたちを育てよう」というメッセージはシンプルであるだけに多くの人に支持されるだろう。そのことで「奇跡」が一つでも多く生まれることを祈らずにはいられない。監督はカビール・カーン。
「バジュランギおじさんと、小さな迷子」は1月18日より全国順次公開。
【紀平重成】