第711回 「リトル・フォレスト 春夏秋冬」
「韓国の伝統料理から若者が好むパスタやお好み焼き、さらに手作りのマッコリまで登場し、人間の五感を総動員させる料理という世界の豊穣さを描いた作品」
と紹介すると、まるで料理がメインで若干のストーリーを持たせた作品と思われてしまうが、実際は全く逆で、一人の若い女性が料理をすることで傷ついた心を癒し元気を取り戻していく姿を描く。つまり物語の合間にその都度ヒロインの心情に寄り添うように料理する場面が織り込まれ、それがまたドラマの進行に見事に溶け合っているのである。
自然に囲まれた田舎で自給自足の生活を送る女性の姿を描いた本作は、日本でも橋本愛主演で映画化されている五十嵐大介の漫画「リトル・フォレスト」を、「もし,あなたなら ~6つの視線」のイム・スルレ監督が韓国で新たに映画化したもの。ヒロインの内面の移ろいに優しいまなざしを向けているのが特徴だ。
就職に失敗する一方、恋人との仲がしっくりいかないヘウォンは、思い通りにならない日常から抜け出し、大自然に囲まれた故郷に戻って、旧友のジェハとウンスクに再会する。ジェハは他人とは違う自分の人生を生きるため会社を辞め故郷に戻って農業を始めていた。ウンスクは逆に平凡な日常から逸脱するために故郷を出る夢を抱く。それぞれの思いは違っても、友と一緒に育てた農作物で一食一食を作っては食べていく。
季節は冬から春、そして夏、秋へと移り、再び冬を迎えることになったヘウォン。人生で初めて特別な四季を送った彼女は故郷に戻ってきた本当の理由に気づき、新たな春を迎えようと歩み出す。
本作には最初から食欲をそそるおいしそうな料理が次々と出てくる。冬のある日、凍える実家に戻ったヘウォンは家の中に食べるものがないので夜中に畑へ出て雪に埋まった白菜とネギを収穫する。具はそれだけのシンプルな鍋だが熱々の汁をおいしそうに飲み干す。残った白菜は翌日衣をつけ天ぷらに、余った小麦粉はこねてすいとんに回す。お腹がすけば、ほぼ材料なしでもこれだけの「ご馳走」にありつくことができるのだ。
そのほかにもチジミや卵サンド、花や春菊の天ぷら、栗の甘露煮、小豆の蒸し菓子、トッポギ、ジャガイモパンと多彩なうえ、料理番組のように真上から見下ろすカメラアングルの映像は美しく、いやが上にも食欲を誘う。
ドラマが進むうちに浮かび上がってくるのはヘウォンが自分と性格のよく似た母親との間で繰り返される確執だ。ヘウォンがこう独白する場面がある。「一番困るのは料理のたびに思い出す母。記憶の中の母と対決する気分」。その思い出の母は「集中しなさい。料理は心の中を映す鏡よ」とヘウォンに諭すのである。娘が成長する過程でどうしても乗り越えなければいけないのは母とはよく言われるが、彼女の場合もまさにそれである。
娘の前に立ちはだかった形の母親はヘウォンがソウルの大学に受かると居場所を告げないまま家を出る。書き置きした手紙には娘の旅立ちに合わせて自身もやりたかったことをするため家を出ること、いつかは戻ってくる娘のために料理など一人で生きてゆくための技術を身に着けさせたことがつづられている。母にとっても独り立ちのタイミングだったのだろう。
映画の中では田舎の生活の窮屈な面や刺激のなさなども語られているが、それも見方を変えれば地に足の着いた仕事をじっくりできるというプラス評価につながるし、ジェハが「農業には騙し合いがない」と語るように業績や地位を競うためにエネルギーを使わずに済むというイム・スルレ監督の「農業賛歌」と言えなくもない。四季があるだけで他に何にもなくても心は満たされるのだと。
ヒロインを演じたキム・テリは「お嬢さん」「1987、ある闘いの真実」の2作に出演し注目を集めた若手の女優。本作では迷いながらも持ち前の独立心を発揮して着実に新しい人生を切り開いていく女性を生き生きと演じている。
その健気なヒロインをサポートするジェハを「タクシー運転手~約束は海を越えて~」で存在感ある演技を披露したリュ・ジュンヨルが役になりきってまた新しい魅力を見せている。
またヒロインの女友達でケンカもしつつ精神的に手助けするウンスクを監督が発掘したチン・ギジュが好演。そしてヘウォンの母親役にはムン・ソリがあたり、自分勝手なようで細やかな愛情を娘にそそぐという難しい役回りを演じている。イメージぴったりのキャスティングと思ったが、監督とは「私たちの生涯最高の瞬間」「飛べ、ペンギン」に続き3作目で、相性の良さをうかがわせる。
いろいろ楽しめる作品だが、隠れた名優に飼い犬のオグを挙げておこう。要所要所で登場し何気ないカットでも遠景で映っているのは、生き物好きの監督の演出もあるだろうが、意外とワン君が勘の良さを発揮しているのかも知れない。
「リトル・フォレス 春夏秋冬」は5月17日よりシネマート新宿、ヒューマントラストシネマ渋谷ほかにて順次公開
【紀平重成】