第712回 「マルリナの明日」
7人の強盗団に襲われた美貌の未亡人による復讐の旅。こう聞いただけで音楽が高鳴る中、馬に乗って荒野を行く「闘うヒロイン」像が浮かび上がる。だが、見終わった後の感想はむしろ女の顔に浮かんだ哀しみへの共感だった。
本作品は2017年の東京フィルメックスで最優秀作品賞に輝いたインドネシア映画「殺人者マルリナ」(上映時のタイトル)である。
荒野の一軒家で暮らす未亡人マルリナが屈強の強盗団に襲われながらも、ひるむことなく反撃の機会をうかがい復讐を果たしていくという内容から、マカロニ・ウェスタンになぞらえて「ナシゴレン・ウェスタン」(インドネシア風「焼き飯西部劇」)と呼ぶ向きもあるようだ。
物語はいたってシンプル。マルリナの住む一軒家に単身バイクでやってきたマルクスという男が「30分後に仲間が来る」と強盗を予告する。一味が金や家畜だけでなく自分の体も狙っていると聞かされた彼女は、後から来た男4人に毒入りの鶏のスープを振る舞い毒殺した上、別室で寝ていたマルクスにもスープを飲ませようとしたが逆に襲われる。マルリナはスキを見て隠していた剣ナタでマルクスの首をはねる。彼女は正当防衛を証明するため男の頭を持って遠く離れた警察署に向かうが、強盗団の残党2人が乗った車とすれ違い徐々に追い詰められていく。
マルリナから見れば緊張を強いられ通しで気の休まるヒマもないが、モーリー・スリヤ監督はサスペンス一色にはせず、時にクスッと笑える会話やエピソードを挟んでいく。
たとえばマルリナがバスに乗り込もうとすると、彼女が抱えている「荷物」を見てあわてて降り始める乗客がいる。その一方、マルリナの友人で臨月のため夫のところに行かなければいけないノヴィ。さらに結婚する甥っ子が新婦側の家に差し出す馬を代わりに届けなければ花嫁が逃げてしまい甥が自殺するのではないかと案ずる女性もバスが出るのを今か今かと待っている。
何気ない会話の中にインドネシアの首都ジャカルタから遠く離れた地域で今なお放置されている文化的格差が垣間見えて興味深い。ノヴィの夫は妻の出産が遅れているのは妻の浮気による逆子が原因という迷信を信じているし、警察署員は別件の容疑者が入っている留置場の前でマルリナから性的暴行の被害聴取を行うなどプライバシー保護への配慮に欠ける応対をする。
誠意のない警察にがっかりしたのだろう。マルリナは荷物を預けていた食堂に戻りその片隅で静かに泣き始める。それを見た食堂の利発そうな女の子が彼女の背中に手をまわし「泣かないで」と慰めるのだ。彼女の名前が亡くなった息子と同じだったのは偶然だろうか。
いずれにしても彼女は孤立したままではなかった。年齢や生まれ育った環境は違っても女たちは連帯を選ぶことができる。女性のモーリー・スリヤ監督は女の弱さも哀しみもありのまま描きつつ、その一方凛々しくしなやかな強さを画面にしっかりと焼き付けていく。それは監督がこの作品に込めた大事なメッセージだろう。
もう一つ印象深かったのはマルリナの暮らしが夫と息子の2人のミイラと思しき遺体に囲まれていることだ。危機が迫る中、自分を守ことができる最後の手だては気力と才覚だけ。だからこそ時にはミイラの夫に肩を寄せ勇気を奮い立たせたり、加護を祈ったかもしれない。リアルと幻想が混交する不思議な世界が物語を思いがけない方向へと進めていく。
ヒロインのマルリナを演じたマーシャ・ティモシーが強いけれど弱さも併せ持つ女の性(さが)をうまく醸し出している。映像と共にダンスを戯れているような気の効いた音楽や力強い遠景描写も効果的。タイやフィリピンの陰に隠れていた感のある東南アジアの大国インドネシアに新しい才能が誕生した。
「マルリナの明日」は5月18日よりユーロスペースほかにて順次公開
【紀平重成】