第714回 「ばあばは、だいじょうぶ」のジャッキー・ウー監督に聞く
俳優や映画の製作など幅広く活躍する一方、「そうかもしれない」「キセキの葉書」に続き認知症の映画としては3本目の「ばあばは、だいじょうぶ」を撮ったジャッキー・ウー監督に制作の意図や見どころについて聞いた。
本作は認知症になった祖母を、小学生の男の子の視点で描いた同名のベストセラー絵本を映画化。両親と祖母の4人で暮らす小学生の翼はいつも励ましてくれるばあばが大好きだ。しかし、ばあばは認知症となり、急に怒り出したり大切にしていた庭の植物を枯らしてしまう。ばあばが怖くて近づかなくなってしまった翼は、ある日ばあばが靴も履かずに家を出てしまい……。
──認知症が進行したばあばが(その息子である)父親と夜中に話をする印象的なシーンがあります。その時だけは記憶がしっかりして覚醒しているように見えました。あの場面を入れたのはなぜですか?
「認知症の家族は病人が正気に戻ったように見えるとうれしさも感じますが、またいつかどうにかなってしまうという不安を心の中に持っています。それで母子の会話を入れたいと思いました。その後冨士眞奈美さん演じるばあばは先ほどとは一転してイビキをかきながら寝るんです。大人のお母さんがソファに寄りかかって寝るのとはちょっと違う表情を出してもらう、そういうものも一つ一つ織り込んでみたかったんです」
── 認知症になると病状が悪くなる一方で元には戻らないと皆さん思っていますね。そういう意味で、先ほどのケースのように昔のことをごく普通に話すこともあって、認知症のことを分かりやすく、優しく紹介しているなと思いました。
「ホッとすると同時にまた次の恐怖みたいなものもありながら様子を見守っていくというところですね。この映画では孫も息子も男で共通しています。実は男の子に対して認知症のお母さんは記憶が非常に明確なんだろうという気がしたんですね。それがあって最終的にばあばはだいじょうぶと孫に対して言う言葉が出てくる。実は息子にも同じことを言ってるんですね。子供が学校に行けないことがあったとき、学校には1週間風邪だと言って休ませた。あんたは大丈夫だと思ったからですね。でも娘に対する記憶はないんですね。だから自分が認知症になって分からなくなる中でも息子、孫という男の子に関してはまだ若干うっすらと繋がっているのかなあというものも描きたかったんです」
── ばあばが行方不明になったとき、孫が祖母の部屋で空き箱を見つけますね。中には自分がおかしくなっていることに気づいて不安になったり、息子や孫を信頼したりといろいろ葛藤を抱えていたことをうかがわせるメモがいっぱいあります。あれも認知症のことを理解する上で大事な情報の一つかなと思いました。
「そうですね。それは非常に大事だと思います。ただ僕は書いた人がそのことを忘れてもう一回見たときに何を思い出すんだろうなと思ってあのシーンを描きました」
── それを見てどう思うかは想像するしかないと?
「はい、そうです」
── 認知症をテーマにした作品は今回が3作目。認知症というテーマを大事にしているように思いますが、意図的にそうされているのでしょうか?
「意図的というよりも避けられないことだなと思います。たとえば昔はぼけていく人は赤ちゃんに帰って行くんだよと聞いてました。年を取るということは赤ちゃんになって死んで行くんだと思っていたんですけど、そんな生易しいことではない。赤ちゃんがひきつけを起こすように泣きながらぐずっていることを大人がやれば暴力沙汰にもなるかもしれない。それは病気ととらえるよりも一人の人間の生老病死の中の出来事ととらえないといけないです。一番眼をそらしたくなるのは身近な家族。だけど一番目を見据えていかなければいけないのも家族ではないのかなと思います。そういう思いで作っています」
── 近所の老夫婦役で平泉成さんがなかなかいい味を出しています。「認知症の人は病気になるんじゃなくて生まれ変わるんだ」というセリフがありましたね。それはどんな意味を持たせたのでしょうか?
「認知症になることを悔やんでいくよりも、朝起きた時に新しい一日を始めようと夫婦で思うようにしたんですよと翼の家族に言うんですが、その言葉は一家への助言というか、見る者へのメッセージになっています」
── その夫妻は妻が認知症でしたね?
「そうですね。最初に認知症の症状が現れていたのはその妻でしたね。徘徊に近い」
── でもだんだんしっかりしてきましたね?
「はい。最後ですね。正確に言えば、しっかりしたというより彼女の正気のところを撮ったということです。正気のところも病気のところもひっくるめて、また次の日に変わったことがあればそれを受け止めるという中でああいうシーンがあるのではないでしょうか」
── 公開が始まりました。観客からはどんな反応がありましたか?
「僕はお涙ちょうだいという作品を作るつもりはなかった。翼役の寺田心君にばあばを捜す時も泣いてるだけじゃだめだ。大切なばあばだからちゃんと目を据えて捜すんだよと話をしたし、僕も横で一緒に走りながら声援しながら撮った。そういういろんなものを入れながら撮った作品なのでいろんな見方があると思うし、絵本にはなかった人物はそういうメッセージを込めた役柄で入れさせていただきました」
── 「キセキの葉書」を作った時に心揺さぶる作品という手ごたえがあったそうですね。今回もう一回認知症をテーマに撮ろうとしたのは、それが大きかったのでしょうか?
「『キセキの葉書』は娘と母親が震災で一緒に住めなくなったという親子の葛藤から認知症とウツが出てくるという部分がありました。今回は認知症に真正面からぶつかっていく映画を作りたかったので、エンディングでばあばが翼に、ばあばは大丈夫だよ、と言っているのか、ばあばが自分自身にわたしは大丈夫だよと言ってるのか、もっと極端なことを言うと、現世にしがみついているのか、といろいろ答えがありながらのばあばは大丈夫だったというようにしています」
── 見る人は自由に解釈していいと。
「そうですね。孫に言ってるのか、自分に言ってるのか。あとはこの世にもっと生きていたいという欲望で言っているのか。その辺はセリフを言った後の感情。決してハッピーエンドの顔はしていませんね。そういう部分を表現させていただいたつもりです」
── 心君は昨年のミラノ国際映画祭で最優秀主演男優賞(ウー監督は最優秀監督賞)受賞で、彼にとっては多分一生記憶に残る作品になるかと思います。しかも認知症のことを彼なりに学習出来て、そういう人が一人でもできたらいいなと思いました。
「ちょうど彼のお母さんの実家がある名古屋で舞台あいさつしました。それを聴いていると今回の撮影で非常に学んだなと感じました。ただ、こう寿命が延びて高齢化が続くと誰しも身近な出来事として受け入れなければいけない。そう思う以上は映画で描いていかないといけないと思います」
── そうするとまた新たな切り口で認知症の映画を作るのでしょぅか?
「正直いえば精神的にきつくなっています。それは認知症というテーマに自分が入り込み過ぎているからです。冨士眞奈美さんには瞬きの数まで指示させていただきました。そういう意味では自分がこのテーマに侵されてしまうかもしれない。かといってその問題は僕のテーマなのでやらないわけにはいかない。今度やろうと思っているのは60歳過ぎのラブストーリーです。お互いに死別か離婚かわからないけれどもパートナーを失った同士が一つの介護施設で知り合い青春を思い出していく。髪を整えたことを思い出す。洋服を見てお洒落だったことを思い出す。立ち居振る舞いを思い出します。そこにすぐ戻れない自分のもどかしさも感じる。そういう描き方をしながら、実は認知症が進んでいくので彼女の名前も忘れていくんですね。あんなに好きだったのに。その中での男の涙。女性は認知症になりながらも楽しい思い出しかよみがえってこない乙女なところを。そういう描き方をしようと思っています。題名は『60歳過ぎのラブストーリー』と決まっています」
── それは見たいですね。
「おもしろいです。ただ単に60歳過ぎの恋愛じゃなく、ラブストーリーという以上は認知症も踏まえたうえで、どうやって自分が男として立ち居振る舞いをしていたか、好きな人の前でやっていたかを思い出すのに一生懸命なんです。いろんな雑誌や昔のアルバムを開いてみたりとか。女性は女性で乙女心にフラッシュバックします。認知症なんて飛んで行ってしまったようにです。でもある出来事があって、また施設の中で同じようにお茶を飲みながら会話をしているときに名前を忘れてしまうんですね。そんな大事なことまで忘れてしまうという時にまた認知症というものに打ち崩されていく。でも最後にはそれも超え違う呼び名で覚えるようになっていく。
── それは実話ですか?
「私の頭の中にあるストーリーです」
── いつ頃実現しそうですか?
「そうですね。僕は完ぺきに頭の中にはできているのですが、周りが……」
── まだキャスティングのイメージはできていない?
「まだキャスティングというか、ストーリーはもっと固めていかないと。認知症になる人に対してお伺いするのは出演依頼というよりも是非出てくださいというお願いなのでちゃんと決まってないと。冨士眞奈美さんにお願いした時も、他に候補はいらっしゃるんですかと聞かれ、いや冨士眞奈美さんしかおりませんとはっきりお答えできましたので、決まっていないとなかなかお願いできないです」
── なかなか熱演されてましたね。
「本当に。僕はこのテーマはチャ―ミングさだと思っていましたので、それがなかったらただ単にお涙ちょうだいの作品になってしまったかもしれない。でもそれがあったから非常にポジティブな映画にも見えるところがありますね。老いるって別に老いることが悲しいことではないんだというところはあのチャーミングさが出してくれたと思います」
── 原作の楠章子さんは御覧になりましたか?
「試写会に来ていただき、その日は一番緊張しましたね。原作ですから。なおかつ30数ページの絵本を2時間弱の作品にするため登場人物をずいぶん増やしましたので、そういう部分でどういう感想かなと思いました。後半泣いていらっしゃいました。小説を超えた映画ですねというコメントをいただきました。ああ本当にやってよかったと思いました」
「ばあばは、だいじょうぶ」は全国のイオンシネマにて公開中(一部劇場を除く)
【紀平重成】