第720回「新聞記者」

あえて公開初日を避け平日の昼間見に行ったが、開映間際に駆け込む人も多くほぼ満席。筆者と同じ考えの人が多かったか、あるいは口コミの評判を聞いて意を決して来た人もいたのだろう。
作品はタイムリーな時事ネタが次々に登場し、なんとか機能していると信じていた我が国の屋台骨がガラガラと崩れていくような錯覚にとらわれ、映画館から出てきたときはもうぐったり。とぼとぼと歩く人波の中にたまたま友人を見かけ、このまま家に帰るわけにはいかないと意気投合、今見たばかりの作品を存分に語り合った。「このタイミングでよくぞ公開した勇気ある作品」「そう、多くの人に見てほしいね」というふうに。

「怪しい彼女」や「サニー 永遠の仲間たち」などの作品でアジア映画ファンの間では知名度抜群の韓国の演技派女優シム・ウンギョンと若手俳優でトップクラスの人気を誇る実力派の松坂桃李がダブル主演を務める社会派サスペンスだ。
菅義偉官房長官への質問攻めで逆に名をはせた感のある東京新聞記者・望月衣塑子の同名本を原案に、新進気鋭の新聞記者と若きエリート官僚が出会い葛藤を繰り返す姿を独自の物語で描き出す。
ジャーナリストの父親が「誤報」により自殺したというトラウマを抱える東都新聞記者の吉岡エリカ(シム・ウンギョン)は医療系大学新設計画についての極秘情報が記された匿名のFAXを上司から手渡される。調査に乗り出した吉岡記者は内閣府の神崎という男が情報の発信者ではないかと当たりをつけるが、その矢先に神崎は自殺してしまう。
彼の死に疑問を抱いた吉岡記者は神崎の葬儀会場で内閣情報調査室の杉原拓海(松坂桃李)を見かける。彼は現政権に不都合なニュースをコントロールする任務にあり、外務省時代の元上司でもある神崎の死に疑問を持っていた。
取材への圧力を感じつつジャーナリストとして真実に迫ろうとする記者と、政権の闇を垣間見て自らの生き方を模索せざるを得なくなる杉原。立場を異にする2人の人生が交差したとき、驚くべき事実が明るみに出る。

もちろん映画の内容はフィクションだが、官房長官が定例の会見で質問された内容を一笑に付し、「その件は当たらない」といつものように全否定することを許さないリアル感を持っている。薄暗がりの大部屋で数十人のスタッフが無言のままSNSを使い情報操作をしていく。レイプ事件のもみ消しや公文書改ざん、要人の自殺など昨今目にする許しがたい出来事とそっくりの話が次々に出てくる。しかも実際にあった事件の当事者である元文科省事務次官の前川喜一氏や望月記者の討論会の映像が背景に重ねられて映るので、ドラマがよりリアルに感じられる。この見せ方がいい。
実際にあった事件を彷彿とさせ、しかもエンターテインメント作品としても見ごたえのあるサスペンスフルな手法はハリウッド作品の「大統領の陰謀」や韓国の「1987、ある闘いの真実」などではおなじみだが日本映画では珍しい。藤井道人監督は善悪を越えて、そうせざるを得ない人々の苦悩を見事にスクリーンに焼き付けていく。ぐいぐいと核心に迫っていく吉岡記者の気迫や、生まれたばかりの我が子と妻の安否を気遣いつつ自身の選択に迷う杉原のシリアスな思いを引き出した演出力は卓越している。

その監督の要望に応えた主演2人の演技は主演男優・女優賞にふさわしい。とりわけラストで松坂桃李とシム・ウンギョンの2人が目と目だけで交わす会話が身震いするほどに切ない。彼は何と言ったのか。一瞬彼女は信じられないという表情。口の動かし方から、たった3文字のセリフが、彼の下した重い決断を物語る。
このラストシーンも衝撃的だが、杉原が上司の出した指示に疑問をぶつけたときに「この国の民主主義は形だけでいいんだ」と上司が平然と言い放つ場面。現実にありそうと思えることに気づいて怖くなる。

キュートな役が似合っていたシム・ウンギョンが今作ではイメージをガラリと変え、真実を求めることを諦めない記者を好演し演技の幅を広げた。外国語である日本語をごく自然に使いこなす姿からも「努力家」であることをうかがわせ、本作のヒロインに相応しい。
参議院の選挙戦たけなわである。「このタイミングでこの作品を作ってくれてありがとう。あなた方の勇気を讃えます」と全ての出演者とスタッフに声をかけたい。
「新聞記者」は6月28日から全国公開中
【紀平重成】