第733回「細い目」
中華系の少年が母に詩を読む場面から物語は始まる。
「わが子の欠点は承知です。いい子だからではなく、わが子だから愛する」(少年の朗読)
「この詩、すごくいい。誰が書いたの?」(母親)
「インドの人だよ」(少年)
「不思議。文化も言葉も違うのに、心の内が伝わってくる」(母親)
多民族社会のマレーシアを舞台に、マレー系の少女と中華系の少年の初恋という2004年制作当時のマレーシア映画界が描こうとしなかった題材をとりあげ、「文化の多様性が大事」というメッセージを込めたヤスミン・アフマド監督の意欲作だ。
本作は05年の第18回東京国際映画祭で日本初上映されている。マレー語映画が主流の時代にマレー語だけでなく英語、広東語が飛び交う作品として完成させ、多民族社会の融和を望む姿勢と作品自体の革新性が評価され最優秀アジア映画賞に輝いた。
オーキッド(シャリファ・アマニ)は、香港映画のスター金城武が大好きなマレー系の少女。香港映画のVCDを探しに友達と市場に出かけた彼女は、屋台で海賊版のVCDを売る中華系(華人)の少年ジェイソン(ン・チューセン)と出会う。ジェイソンは、オーキッドを一目見て、たちまち恋に落ちてしまう。
ジェイソンの親友キョンは最初はマレー人のオーキッドを嫌うものの、広東語を話し香港映画ファンのオーキッドと仲良くなる。オーキッドの家族は両親ともジェイソンが華人であることを気にしないで、二人の交際を温かく見守る。一方、ジェイソンの母は息子をからかいながらも、オーキッドとの交際を受け入れる。
互いの家族に温かく見守られながら二人は、大切な初恋を育んでいくが……。
一目ぼれに理由などないが、映画のことなど語るうちに仲良くなっていくオーキッドとキョンの関係は象徴的だ。互いに相手を知ることで先入観が取り払われ文化的な差異による衝突も避けられるという描写はヤスミン監督の考えの根幹をなす。
そんな監督だからこそ、描き方も徹底していた。文化や言語の違いをそのまま描くだけでなく、社会的階層の違いや男女の役割を逆転させるのだ。たとえば同居するメイドはどちらが雇用主かわからないよう仲のいい友人風に、またオーキッドとジェイソンは男は強く、女は守られるものという伝統的な考え方にとらわれない間柄に置き換えた。
ヤスミン・アフマド監督の没後10周年記念特集上映のため7月に来日した音楽家でヤスミンの友人でもあるピート・テオは筆者のインタビューで次のように答えている。
「『細い目』のようにマレーシアの女の子が中華系の男の子と恋に落ちる。マレーシア以外の人にとってはフーンという筋書きかもしれませんが、当時のマレーシアは今よりも人種差別的で、非常に男性上位的な風潮でした。ですからあの映画はマレー系の女の子は自分の人生を身売りしたように受け取られてしまった。今でも(マレーシアの)一部の人にとってヤスミン監督は受け入れられていないですね。映画の中の彼女は正しいムスリムじゃないと思われます。これが逆だったらいいんですよ。女性が中華系で男性がマレー系だったらまた話は別です。ですからこの20年で見て一番勇気があると私が思うのはそこなんです」
描くのが早かったというよりも15年たっても今なお新しいテーマをその時描いたということだろう。
文化的多様性を求める動きが近年世界各地で多発している。香港は「一国二制度」の原則は保証されるべきと香港政庁に求める民衆側からのデモに揺れる。香港政庁の背後にいる中国はチベットやウイグル問題を抱える。
翻って日本では近年、外国人労働者の増加に伴い過酷な勤務実態が明らかとなり人権問題が噴出している。彼らの待遇を改善させ日本社会の仲間として迎える努力がいま求められている。それを考える上で参考になるのはラグビーW杯日本大会でベスト8入りを決めた日本チームの活躍だ。多様なルーツを持つ彼らが「ワンチーム」の掛け声に乗ってプレーする一途な姿に、日本社会の未来が重なって見えないだろうか。
本作にかけたヤスミン監督の思いをはせながらそんなことを考えた。
「細い目」はアップリンク吉祥寺、アップリンク渋谷ほか全国順次公開中
【紀平重成】