第736回「ロボット2.0」
人類の暴走を戒めるお話といえば、手塚治虫の「鉄腕アトム」がすぐ思い浮かぶ。また水爆実験で生まれ変わったゴジラを主人公とする一連の人気シリーズ作品も反戦、反核のメッセージを込めてスタートした作品と言われる。人類を幸せにするはずの科学技術が逆に人々を苦しめる。そんな作品が今なお作り続けられるのは、科学の発達がいつか人間の手にはコントロールできなくなるのではという「恐れ」を多くの人が感じているからだろう。
本作は「ロボット」(2010年)の後継作品ではあるが、一つの作品として完結しているので前作を見て居なくてもスッと入ることができる。それでも両者を見比べることをお勧めするのは人間とロボットの関係が微妙に変わっているから。というよりロボットにもう一段高い位置、それは「神の領域」と言っていいかもしれない高みに置いているからである。
とある日、インドの街からすべてのスマートフォンが宙に舞い巨大な吸引機に吸い取られたかのように消える。同時に携帯電話業者のトップや通信大臣がスマホに押しつぶされ圧死するという奇々怪々な殺人事件も発生。政府から対策を求められたロボット工学のバシー博士(ラジニカーント)は助手のニラー(エイミー・ジャクソン)とスマホの行方を追う中で、おびただしい数のスマホが合体し巨鳥に変身していることを突き止める。
同じころその怪鳥は人々を襲いだし、駆り出された軍隊からの砲撃にひるむどころか逆に自身のエネルギーに変えて巨大怪鳥に膨れ上がる。再び政府に呼び集められたバシー博士は、前作「ロボット」で一度は封印された伝説のロボット「チッティ(ラジニカーントの2役)」を復活させ、国民を救うことを提案する。だが、それはインド中を巻き込む壮大なバトルの幕開けにすぎなかった。
このチッティの出番は、政府の対応が万策尽き、頼るのはもう彼だけという絶妙のタイミングに合わさっているところにシャンカル監督の思いが込められているようだ。まるで全能の神は後からゆっくり登場するのだとでも言うように。
チッティの戦う相手は鳥への電磁波の影響を危惧する鳥類学者の怨念が生みだしたモンスターだ。最新のSFX映像を駆使したチッティとのバトルは前作をしのぐ出来栄えで、それだけでも十分に堪能できるはず。しかし本作の魅力はそれだけではない。便利を追求するあまり今を生きる人間のためだけに科学技術が使われていないかと顧みる視点が随所に散りばめられている。
例えば携帯の電磁波が鳥類の方向感覚を惑わせているという学説が紹介される一方、電磁波の影響を小さく見せるためにデータを捏造するビッグ企業人が現われたりと、モラル崩壊の現実世界を見ているようにリアルだ。
街頭インタビューで老人がこう語る。「おかげで静かだ。ストレスがないよ」。スマホのない生活へ戻れという神の警告なのか。シャンカル監督は物語の後半、政府要人の質問に対しバシー博士に次のように語らせていることに注目したい。
「我々は技術の使い方を誤っている。貧困撲滅や病気根絶、教育促進などに使うべきです。個人の望みや欲を満たすのに使ってはダメ」
また、こんな発言も。「人は鳥と共存するべきだ。電磁波を制御し携帯電話会社を減らし技術が生き物に悪影響を及ぼさないようにする。地球は人間だけじゃなく全生物のものだと皆が理解しなくては」
環境問題など無いかのように自国ファーストにまい進する世界各国の政治家やそれを支持する人たちとなんと発想のスケールが異なることか。
前作の「ロボット」ではチッティが「人間は身勝手や裏切り、偽りというチップを持つ。誰でも心の中にね。人間じゃなくてよかったよ」と人間の弱さ、醜さをズバリ指摘した。事あるごとに迷い、矛盾も多い人間はロボットの助けが必要で、そんな人間に奉仕するものとしてロボットを定義したのが前作。
一方、本作はロボットを人間より一段上の「神」と位置づけ、そのロボットに人間による「人間ファースト」の考えを戒めさせ鳥も含めたすべての生き物との共存を促す。そんな高みではロボットの生活もなんだか堅苦しそう? いやご心配なく。チッティは神のごとく天真爛漫に恋をしているから。
「ロボット2.0」は全国公開中
【紀平重成】