第746回「プレーム兄貴、王になる」
インド映画で「三大カーン」の一人として人気を博すサルマン・カーンの出演作『プレーム兄貴、王になる』が昨年の『バジュランギおじさんと、小さな迷子』に続いて近く日本公開される。
偶然かもしれないが、この2作品にはタイトルに人名または通称名が使われているほか、いくつかの共通点がある。主演のサルマン・カーンが下町のお人好しで熱血漢、壊れた人間関係を修復していくという“愛の伝道師”的な役回りもそのまんま。ただし迷子の幼子を対立する隣国へ送り届けるという内容の『バジュランギおじさん…』と、王位継承争いの暗殺事件で意識不明となった王の替え玉として、もめ事の解決を買って出るという本作とは題材が全く別物なのに、主人公のあまりにも純真な心に共感し応援したくなってしまうところも共通する。
そのほか、どちらも2015年の制作で、『バジュランギおじさん…』がインド国内での観客動員数2位、本作は同3位と仲良く並んで大ヒットしているところも似ている。この年はまさに肉体派だけではないサルマン・カーンの“善玉キャラ”とでもいう新しい魅力が開花する年だったということだろう。ちなみに1位は『バーフバリ 伝説誕生』。
さて、われらが兄貴の善良ぶりをおさらいしよう。人情に厚く真っすぐな心の持ち主である貧乏役者プレームの秘めた願いは、憧れのマイティリー王女(ソーナム・カプール)にお会いすること。ちょうど王女が、婚約者のプリータムプル王国のヴィジャイ王子(サルマン・カーンの一人二役)の王位継承式に参列することを聞きつけ、心を弾ませ駆けつける。ところが王子のヴィジャイは王位継承を競う弟の一味に襲われ意識不明に。
街中で王子と瓜二つのプレームを見かけた家臣は4日後に迫る王位継承式に向けて彼を王子の替え玉に仕立てあげる。しかしプレームとは大違いの尊大で頑固な王子に冷遇され続けてきた王家の異母兄弟たちは王子に敵意を燃やし、フィアンセのマイティリー王女さえも彼に心を開かない。はじめは内心ドキドキで王子を演じるプレームだったが、徐々にお人好しの本領を発揮し始め、やがて純心な心で人々の心を溶かしていくのだが……。
それにしてもサルマン・カーンが演じた二役、王子と貧乏役者の性格の違いは際立っている。まるで一人の人間の中に善玉と悪玉が混在しているようにも見える。そこで思いつくのはサルマン・カーン自身が実生活の中でひき逃げや希少動物の密漁で訴訟騒ぎを起こしていること。事故や事件を起こした当時の彼の心中は分かりかねるが、今は自身の罪を心から反省し、映画スターというファンあっての職業の重みを自覚していると信じたい。
そう思うのは15年に相次いで作られた上記2作品の主人公が純真で愛に満ち困難を乗り越えて行くという内容であり、期待を裏切ったファンへのお詫びの作品のようにも見えるからである。サルマン・カーンが自身に迫る危機をはねつけようと再起をかけた作品として見れば、また見方も変わるかもしれない。
同様にインド映画にも危機が静かに迫っており、『プレーム兄貴…』など2つの映画は事態を改善するために作られた作品という要素はないだろうか。近年、社会問題を扱う作品の増加やCG、アクション重視の流れが進む中、インド映画の醍醐味であり主流でもある歌って踊ってというボリウッド映画の「らしさ」が軽視されており、もう一度原点回帰が必要とする見方だ。
その点、本作は7シーンで繰り広げられる圧倒的な歌とダンス。その分上映時間は164分と長くなるが、喜怒哀楽の感情が怒涛のように押し寄せる至福の時間に身をまかせていると、「やっぱりボリウッドはこれでなくちゃ」と元気が湧いてくる。さらにチャウ・シンチーの『少林サッカー』へのオマージュともいえる場面も巧みに挿入し、“サッカーダンス”まで登場させ、スーラジ・バルジャーティヤ監督のノリの良さにも感心した。
本作では『パッドマン 5億人の女性を救った男』のソーナム・カプールが魅力的に描かれるなど、見どころは多いが、最後の最後に出てくるどんでん返しは見逃せない。登場人物のイメージが変わるとだけ明かしておこう。
『プレーム兄貴、王になる』は 2月21日より新宿ピカデリーほか全国順次公開
【紀平重成】