第748回「ロングデイズ・ジャーニー この夜の涯てへ」

新型コロナウイルスの影響が思わぬところに及んできた。東京をはじめとして2月28日から全国で順次公開の本作。数ある売りの一つとして後半60分に及ぶ3Dワンシークエンスショットの映像が話題になっていた。ところがこれを楽しんでもらうために一部の映画館で用意されていた3Dメガネの貸出がウイルス感染をもたらさないかと懸念され2D上映に急遽変更されてしまった。もちろん2D上映でもこの作品の評価は変わらないが、主人公の記憶、ないしは夢の部分に相当する3D映像はなかなか見る機会はないと思われるので、一部のシアターに限った話とはいえ残念だ。コロナウイルス騒ぎが少しでも早く収まることを切に祈りたい。

自身の過去をめぐり、現実と記憶と夢が交錯するミステリアスな旅路が描かれているので、あらすじは少々難解だ。父の死をきっかけに、12年ぶりに故郷である貴州省の凱里へ戻ったルオ・ホンウ(ホアン・ジェ)は、ヤクザに殺された幼なじみの白猫(リー・ホンチー)や駆け落ちした彼の母親(シルヴィア・チャン)の記憶の断片を拾い集めるように街をさまよう。中でもルオの心をずっと捉えていたのは、香港の有名女優と同じワン・チーウェンと名乗る女だった。彼女の面影を追い、ルオは街をさまよい歩くのだが……。
中国の新世代監督ビー・ガンが「凱里ブルース」に続いて注目を集めた長編第2作。共通するのは「凱里ブルース」でも使った40分にわたるワンシークエンスショットをさらに20分伸ばし60分にしただけでなく、2Dから3Dに“バージョンアップ”していること。この効果により“夢の実感”をより高めることに成功している。この技術を確実なものにするため、ビー・ガン監督はシルヴィア・チャンやタン・ウェイら豪華キャストを長回しの3D撮影のために何度も同じ演技をさせたという。そのこだわりが奏功し、「凱里ブルース」に比べワンシークエンスショットのカメラワークが本作では格段にこなれてきたことがうかがえる。「凱里ブルース」で散見した複数の人のやや不自然と思える動きが本作では全く見られないのである。

それ以外にも編集面での工夫が見てとれる。上映前に渡される3Dメガネをかけるタイミングを観客が間違えないように知らせる方法がスマートなのだ。138分の作品が残り約60分に差し掛かった時、劇中の主人公ルオが映画館の席に座って、サングラスに似たレンズの黒い3Dメガネをかける。同時に作品のタイトルがスクリーンに映し出されるのだ。万が一気づかない人がいても、周りが一斉にメガネをかけるので見逃がす心配はないだろう。
このように技術面でのこだわりと並んで新旧2作そろって際立つのは監督自身の故郷でもある凱里という町への哀惜の念である。山に囲まれ高低差の多い独特の地形にもかかわらず、開発の波はこの地方都市にも押し寄せている。美しい風景と並んで雨がしたたり落ちる廃屋が怪しい魅力を放つ。これらは監督の記憶の中の光景のようにも見える。

2018年12月31日に中国大陸で公開された本作はわずか1日で41億円の興行収入をあげたという。作品の特異性や大みそか夜の公開という興行上の戦術が成功したという事情はあったかもしれないが、それにしてもローカルの地味な作品にこれだけの観客が集まったのはなぜだろうか。
地方都市凱里の出身で、映画を学んだのは有名監督を輩出する北京電影学院などの名門ではなく山西省太原のメディア学校という経歴。逆に言えば、北京や上海などの大都市から離れた地方性を彼の作品から読み取り、そこに新鮮さや親近感を感じたのかもしれない。
中国の急激な近代化は町と人の心を大きく変え、中には喪失感を感じている人もいるはずだ。そんな人たちにとって、本作品は失われつつある故郷への記憶をわずかであっても感じることができる貴重な存在だったに違いない。

一昨年の東京フィルメックスで本作と「象は静かに座っている」という共に新世代の監督作品が並んだ中国映画界。残念ながら「象」のフー・ボー監督は作品が完成して間もなく自殺してしまい、新たな作品を見る事はできなくなったが、同じアート系の実力派監督としてアジアはおろか世界の映画界を引っ張っていく才能の一人であろう。その力をいち早く日本に紹介してくれたフィルメックスと日本公開にまで漕ぎつけてくれた配給会社には改めて感謝の気持ちを送りたい。
『ロングデイズ・ジャーニー この夜の涯てへ』は 2月28日よりヒューマントラストシネマ渋谷、新宿ピカデリーほか全国順次公開
【紀平重成】