第750回「コロンバス」
小津安二郎の作品と言えば誰でも畳や折りたたみ式のちゃぶ台のある日本家屋を思い浮かべるに違いない。だが本作はモダニズム建築の宝庫として知られるアメリカの地方都市コロンバスを舞台にした作品。韓国系アメリカ人のコゴナダ監督が自身の敬服する小津にオマージュを捧げた作品という。
それにしても人口4万人ほどの小さな町に銀行や図書館、新聞社、教会、病院等のモダニズム建築が立ち並ぶ図はおよそ小津作品の舞台とは異質だ。「なのになぜ小津とかかわりが?」と疑問を持つ方も多いだろう。
その答えのカギは監督の名前にある。
監督の“コゴナダ”という名前になじみがなくても、小津作品の脚本家として知られる野田高梧(のだ・こうご)にちなんだものと聞けば“コゴナダ”に合点されるだろう。同時に彼の小津への敬愛が並々ならぬものであると理解するに違いない。
アカデミアの世界で「小津に惹かれる謎、彼の映画の根底に流れる普遍性」について研究してきたコゴナダ監督は、学術的に小津作品を極めるよりも小津と同じような感性で映画を撮ったほうがより小津に近づけると考えたのかもしれない。
その思いが初長編の本作につながった。
物語はシンプルだ。建築学者の父が出張先のインディアナ州コロンバスで倒れたため、韓国に移住していた息子のジンが駆けつける。父との確執もあり早くこの町を立ち去りたいという事情のある彼が出会ったのは、逆に建築の勉強を深める夢を諦め薬物依存症の母の看病を理由にこの町に留まっている図書館員のケイシーだった。
どこまでも対照的な2人の運命が交錯し、やがてそれぞれが新しい道に向かって歩き出す。
もしかしたら3人目の主人公と言っていいほど存在感を発揮しているのが次々に登場するすばらしい建築群だ。1920年代の当時としては珍しいガラス張りの銀行があるかと思えば、左右対称のシンメトリーが多い西洋の建築物の中にあって、日本家屋のように対称的なものと非対称のものを意図的に組合せ、全体として絶妙なバランスがとれている建物にも引き付けられる。
どの建物も無言のままその場に慎ましく立っているだけなのに、何か言いたげなたたずまいを感じさせる。それは監督の間の取り方に一定のリズムがあり、観客に様々なことを考えさせるからなのだろうか。
その一方で、偶然知り合った2人は互いに建築への関心や知識があることに気づき、散歩の最中にも建築の解説にうんちくを傾ける。そのため本来なら無機質で冷たいはずの建物から温もりまで伝わってくるのだ。カメラを通してひたすら見つめ続けるからこそ感じ取ることができる“微熱”と言ってもいい。
モダニズム建築への監督の深い愛情からもたらされた数々の映像美に触れるうちに観客は心の隅々が満たされていくように感じるかもしれない。お金でも地位でもなく美しいもの。それは小津が一貫して追い求めたテーマではなかったか。
映画の後半、コゴナダ監督は冷たい建築物に向き合い静かに涙を流す女をしっかりととらえる。
もしかしたら世界の映画人とファンをとりこにしてきた小津映画を決定づけるものは、この「美しく静かなる高揚」なのかもしれない。
『コロンバス』は 3月14日よりシアター・イメージフォーラムほかにて順次公開
【紀平重成】