第751回「在りし日の歌」

いま日本で上映される中国映画のトレンドといえば、第五世代の巨匠たちの作品でもなければ、売れっ子俳優を並べたり巨額の製作費を投入した作品でもない。それは『象は静かに座っている』(フー・ボー監督)や『ロングデイズ・ジャーニー この夜の涯てへ』(ビー・ガン監督)といった才能がキラキラした若手監督の作品だろう。
そんな俊英たちに伍してベテランの味で存在感を示しているのがジャ・ジャンクー監督と同じ第六世代に属し『北京の自転車』などの作品があるワン・シャオシュアイ監督だ。1980年代から2000年代の激動の中国を背景に、喜びと悲しみを繰り返しながらも共に手を携えて生きていく夫婦を感動的に映し出す本作。一人っ子政策に翻弄された人々の哀感が描かれ、それを直接体験した中国の中高年世代はもちろん、日本人にとっても涙なしでは見られない作品になっている。

中国の地方都市で国有企業の工場に勤めるヤオジュンとリーユン夫婦は幸せに暮らしていたが、ひとり息子のシンシンを不慮の事故で亡くしてしまう。悲しみに暮れるふたりはある事情があって故郷を捨て、親しかった友人とも距離を置き、誰も自分たちのことを知らない町へ移り住む。養子に迎えられ死んだ息子と同じ名を付けられたシンシンは16歳になったとき父親と諍いを起こし家を飛び出してしまう。
30年という長い年月を描くために監督は過去の時代を行き来するフラッシュバックの手法を使う。おそらく展開が平板にならないように、また登場人物の悲喜こもごもの感情をより深く味わってほしいという狙いからだろう。

話は前後するが、80年に始まった「一人っ子政策」は国の隅々にまで及び、第二子を身ごもったリーユンは家族ぐるみで付き合いがあり計画出産委員会副主任でもあったハイイエンに強制的に妊娠中絶手術を受けさせられ、手術ミスのため子を産めない体になってしまう。この後に第一子の事故死が重なるので、二人の子を失った夫妻の心痛は計り知れないものだったろう。
不幸は重なるもの。ヤオジュンとリーユンの夫婦は皮肉なことに計画生育の優秀賞で表彰され“模範工員”となる。さらに後年これがあだとなって経済改革の波が押し寄せたとき、真っ先に「一時帰休」(リストラ)の対象者になってしまう。個人ではどうにも抗うことができない不条理が映し出されるのだ。

テーマ的には国の政策を批判する告発調のドラマになってもおかしくはないが、作品は批判より夫婦が困難を耐え忍び情愛を深めていくという感傷的なドラマに傾いていくようにみえる。夫のヤオジュンは「俺とリーユンはお互いのために生きている」「これも俺の運命」とつぶやき、リーユンは「(子供が欲しくなって)私と離婚したいなら応じる」と辛い胸の内を語る。
監督は党へのあからさまな批判を避け、党の方針を理解しない職場の責任者に問題があり悲劇が生まれたと言いたげである。あるいは人間のやることだから誤りはあるのだとも。自らの体を痛めて計画出産に協力したことを模範工員だと持ち上げられ、後になって昔の話を蒸し返され真っ先に一時帰休に協力させられるという話は、1950年代に多くの知識人が「百家争鳴」に協力して自由に語った発言が反右派闘争にひっかっかり労働教育に送り込まれるという悲劇と構図がどこか似ていないだろうか。

『薄氷の殺人』『オルドス警察日記』のワン・ジンチュンと『黒衣の刺客』のヨン・メイを主演に迎え、第69回ベルリン国際映画祭(2019年)で最優秀男優賞と最優秀女優賞のダブル受賞に輝いた。ヤオジュンとリーユンの夫妻が互いに気遣う姿からは本当の夫婦のように、ほのかな余韻が伝わってくる。名演だ。
『在りし日の歌』は 4月3日より角川シネマ有楽町、Bunkamuraル・シネマほかにて順次公開【紀平重成】