第763回「羊飼いと風船」
一昨年(2019年)の東京フィルメックスで上映され最優秀作品賞に輝いたペマ・ツェテン監督による日本初公開作品。チベットの大草原に生きる三世代の羊飼い家族の日常と葛藤を描いた作品は、近代化に揺れる伝統やジェンダー、少数民族問題など普遍性ある今日的テーマを浮き彫りにし、また題材や脚本、抑制の効いた演技が見事に溶け合って同監督の最高傑作に仕上った。
映画祭の時のタイトルは『気球』。これまでのペマ・ツェテン監督の作品イメージとかけ離れているため戸惑ったが、作品を見てみると実は風船が狂言回しのように物語をつないでいく大事な役割を受け持ち、映画の影の主人公であることが分かる。
たとえば布団の下に隠されているコンドームを見つけた幼い子供たちが風船と勘違いし膨らませて草原を走り回るシーン。ここまでは笑ってすますことができるかもしれないが、夫婦の夜の営みの際に見つからず妊娠してしまうとなると、避妊を希望していた妻ドルカルの悩みを募らせることになる。このように「風船」は次の展開を磁石のように導いていく強力なアイコンなのである。
ドルカルが妊娠したことは大きな波紋を広げていくことになった。亡くなったばかりの祖父の生まれ変わりと高僧から聞いて喜ぶ夫や周囲をよそに、経済上・健康上の理由から妊娠を望んでいなかった妻の心は揺れ動く。近代化はメリットがあるものの、馬がバイクに変わることで燃料費がかさみ子供の教育費なども増えていく。輪廻転生を信じる夫は妻の懸念を理解ができず思わず手を出してしまう。次第にすれ違いを増す家族の中で彼女はある選択をするが……。
風船はラストでも役回りを得て鮮やかに登場する。妻の選択に動揺する夫のタルギェが町で子供に約束していた本物の風船を買って帰る場面である。飛んでいく風船を夫や子供たちが呆然と見上げる。信仰と変わりつつある社会の谷間にあって困難はあっても乗り越えてほしいという願望を込めたようにも見えるが、その解釈は見る者に任されている。
作品を盛り上げているのはカメラワークの素晴らしさ。窓ガラス越しに見える外の映像や逆にガラスに反射した外の映像が想像を掻き立てるかのように美しく印象的だ。また水たまりに映る逆さまの夕日を捉えたカットはチベットの厳しさと美しさを見事に映し出している。『タルロ』や『轢き殺された羊』でおなじみのリュー・ソンイエの撮影だ。
妻のドルカルを演じたのは『轢き殺された羊』にも出たソナム・ワン。また夫のタルギェは『タルロ』『轢き殺された羊』に続いてペマ・ツェテン監督作品は3回目となるジンバ。チベットの人たちが課せられている重い現実を若い夫婦役の二人がリアルにしなやかに演じている。困難はあってもきっと乗り越えて行くと期待できる力を感じた。
『羊飼いと風船』は 1月22日よりシネスイッチ銀座ほか全国順次公開【紀平重成】
◇ ◇ ◇
ご要望にお応えして「私のアジア映画ベストワン」の投票期間を延長します!
応募の締め切りは1月15日(金)中。その作品を選んだ理由も一緒にお寄せください。ペンネームOK、匿名希望はその旨をお書きください。2020年の公開作品なら先行上映や海外で見た映画も対象です。また映画祭や特集イベントの作品も歓迎します。あて先は銀幕閑話コンタクトフォームもしくはtwitter(@ginmaku_kanwa)のDMからお願いします。