第766回「少年の君」
昨年の大阪アジアン映画祭では前評判も高く、観客賞に輝いた作品なので、日本公開を待ち望んでいたファンも多かったに違いない。コロナ禍で大阪へ行けなかった筆者もその一人である。

中国の進学校に通う優等生の少女チェン・ニェンと不良青年シャオベイとの純愛物語。一見不似合いな二人だが、チェン・ニェンは母親が娘の高い学費を捻出するため犯罪まがいの商売に手を出しており、不在がちで他に身寄りはない。そんなチェンを同級生たちは執拗にいじめ抜く。一方のシャオベイは粋がってはいても将来の夢など持ちえない自分を持て余していた。そんな彼が集団暴行を受けているのをたまたま見かけたチェン・ニェンが機転を効かせ助けるのだ。
やがて孤独な二人は互いの傷をなめ合う様に心を通わせていくのだが、こうストーリーを紹介していくと、「どこかで見たような」と思われる人もいるだろう。たとえば韓国映画『息もできない』では家族というしがらみから逃れることができない男女がそれぞれ肉親への怒りと憎しみを抱きつつ暮らす。傷だらけとなった二人は理由もなく惹かれあう。事情は違っても孤独な者同士が心を寄せ合い前に歩み出すという作品はどの国においても映画作りの際に選択されやすい手法と言っていいだろう。

孤独な魂の邂逅(かいこう)、そして再生へという流れ。観客の多くが望むパターンだと思うが、そんな時こそ監督の腕の見せ所となる。『息もできない』のヤン・イクチュン監督は、ようやく訪れた心休まるはずの結末に衝撃の展開を織り込んだ。この暗転があるからこそ、後年、家族に訪れる、しばしの平穏がより価値あるものに感じられるのだ。また本作のデレク・ツァン監督の場合はピュアな純愛物語という設定を維持しつつ、そこに二人が巻き込まれる殺人事件の容疑者捜しというサスペンスの要素を足すのだ。これが見事に成功し見ごたえ感を増している。

作品に深みを感じるのは現代中国の課題を随所に織り込み社会派の作品としても十分に評価できる点にある。映画の冒頭と最後でいじめの防止を呼び掛ける異例のメッセージが紹介される。
「いじめは世界的な現象であり我々の身近でも起こっている。本作がその抑止の一助となり苦しむ人々の希望になることを願う。事件がいじめに関する法整備のきっかけとなり学校内の安全を守る取り組みは今も続いている」「皆が一丸となれば子供たち、そして世界を守れるはずです」
まるで、いじめの撲滅を大々的に宣言する教育映画のようなスローガンだが、このようなメッセージを掲示しなければならないほどいじめが後を絶たないのだとも言えるだろう。中国では大学進学率が二人に一人となるほど一般化しながら、その一方で難関大学入学を想定した受験戦争は過熱の一途をたどっており、「横たわり族」と呼ばれ競争を拒否する若者の出現も話題になっている。様々な問題が複雑に絡んでおり、試験会場で自校の生徒に檄を飛ばす教員の姿を捉えたカットも映画に説得力をもたせている。

殺伐とした空気を吹き払うように清々しさを感じさせているのは主演の二人だ。『ソウルメイト 七月と安生』でチョウ・ドンユイとタッグを組んだデレク・ツァン監督が今作で再び彼女を指名。他人の人生をもてあそぶ傲慢さの演技が印象的だった彼女から、今作ではボコボコに殴られても魅力的で強さと儚さを併せ持つ演技を引き出した。相手役のシャオベイを演じたアイドルグループ「TFBOYS」のイー・ヤンチェンシーもまたいい味を出している。

昨年の大阪アジアン映画祭で一早く本作を見ることができなかったことは残念だったが、今にして思えば、今回、『ソウルメイト 七月と安生』と併せてチョウ・ドンユイの新たな魅力をじっくりと見比べる機会を得たことになり、むしろラッキーだったのかもしれない。
『少年の君』は7月16日より新宿武蔵野館、Bunkamura ル・シネマほか全国順次公開【紀平重成】