第773回「幸福な私」
香港映画への検閲・規制の強化が懸念される中、むしろ逆に社会の変化を作品に取り込もうとする意欲的な映画人が現われている。そんな感性と意思が感じられる日本初公開の7作品を集めた「香港映画祭2021」が11月27日から12月30日まで全国5都市で開催される。関西や名古屋のミニシアターの呼びかけに賛同して結集した映画祭実行委員会には大阪在住のリム・カーワイ監督も参加し、「政治的な影響は、皮肉なことに香港映画の製作形態、内容、ジャンルをさらに豊かに、さらに強じんにした可能性がある」とエールを送っている。
ベテラン、スター俳優の新たな魅力を引き出すなど、どの作品も意欲的だが本欄では『幸福な私』(幸運是我、2016年)で3度目の香港電影金像奨主演女優賞に輝いたカラ・ワイさんの心惹かれる演技が詰まった本作をご紹介したい。
カイヨク(カルロス・チャン)は幼い頃に両親が離婚し、母と一緒に広州へ引っ越した。その母を病気で亡くしたあと、父を頼って香港へ戻るが、厳しい社会の底辺をさすらううちに認知症を患うファニー(カラ・ワイ)と出会い、彼女のアパートに転がり込む。年齢も人生経験も違う2人が反発し合いながらも不思議な同居生活を続ける中、やがて互いを受け入れていく。脚本家ロー・イウファイの監督デビュー作だ。
本作については17年3月に大阪アジアン映画祭で「ミセスK」(ホー・ユーハン監督)がオープニング上映された際にカラ・ワイさんご自身が舞台挨拶中、突然「みなさんに伝えたいことがあります」と断り、話し出した作品だった。ホー・ユーハン監督も壇上に並んでいたので、本来は「ミセスK」について話さなければけないのに前夜発表されたばかりの香港電影金像奨主演女優賞作品「幸運是我」の受賞がよほどうれしかったのだろう。
「この作品で私は認知症患者の役を演じましたが、患者の皆さんは世界から無視されている状況です。認知症の家族やお友達にも関心をもってもらいたいと思っています。2か月前に亡くなった母も認知症を患っており、私にとっても他人事ではありません。社会的に意義がある題材なので、ぜひ皆さんで盛り上げてください」と熱く語った。
このいきさつは本コラムの第623回 「カラ・ワイと『幸運是我』」でもご紹介した通りだが、筆者は4年8か月ぶりに待望の作品を拝見する幸運に預かれたということだろう。
認知症については病気の進行に違いはあっても、本人は何もわからないのではなく分かっている場合が多く、我慢強くかかわりあうことが大事とされている。カラ・ワイさんも指摘されているように「無視」は禁物で、なんとか接点を工夫することが求められる。
本作でも若いカイヨクはファニーと裏返ししたトランプカードの種類を当てさせるゲームで記憶力を刺激したり、あるいは彼女が歌うことが好きそうに見えるので歌わせたりと自身も楽しみながら関わろうとする。そんなやり取りの中から、かつて彼女が映画のポスターを描く仕事につき、またレコードを出す話まであったほど歌がうまかったといった記憶が導き出されてくる。認知症についてよく調べていることが伺われ、作品への信頼度も高まってくる。
アクションスター時代のカラ・ワイさんも恰好よかったが、本作のような弱者を演じさせても、どこかチャーミングでピタリとはまる演技力に改めて感心する。
『いますぐ抱きしめたい』(ウォン・カーウァイ監督)といった名作の名前を会話の中に入れて、香港映画黄金時代をしのんでいるのかといぶかったが、単に名画を懐かしむだけでなく前へ進もうという意思をそこから感じた。【紀平重成】
■本コラムを読まれた方々へ
このコラムでご紹介している『幸福な私』と『暗色天堂』『深秋の愛』を加えた3作品は現在開催中の『香港映画祭2021』での上映が中止となりました。その理由は下記の映画祭実行委員会の発表通りですが、実のところ本当の理由は分かりません。これは憶測ですが、香港映画への規制強化が懸念される中、香港の権利元は事をこじらせたくないという判断もあったかもしれません。とはいえ映画作りに自主規制や忖度はあってはならぬこと。映画人とファンがスクラムを組んで前進あるのみです。幸いにも映画祭実行委のメンバーであるリム・カーワイ監督が香港映画ファンを喜ばせようと、香港の知り合いに連絡して代わりの3作品『逆向誘拐』『あなたを思う』『狭き門から入れ』の上映が決まりました(東京会場のみ)。そのほかの作品も含めスケジュールなどは各劇場ホームページでご確認ください。
■『香港映画祭2021』3作品上映中止のお知らせ
『香港映画祭2021』で予定をしていました『幸福な私』『暗色天堂』『深秋の愛』は、権利元の都合により、上映を中止とさせていただきます。11月30日(火)に上記3作品の権利元より、上映許可が出せなくなったとの連絡がありました。以後、権利元との協議を重ねておりましたが、権利元の社内決議にて『香港映画祭2021』への『幸福な私』『暗色天堂』『深秋の愛』の出品を取り下げが決まったとのことで、上記3作品については上映中止せざるを得ないとの決断に至りました。12/2(木)より上記3作品の上映は中止します。突然の上映中止、スケジュール変更になりましたことを心よりお詫び申し上げます。上映スケジュールの変更につきましては、各劇場HP、映画祭公式HPをご確認ください。
2021年12月2日
香港映画祭2021実行委員会