第785回「23年私のアジア映画ベストワン」
お待たせしました。アジア映画に詳しい研究者から熱心なファンまでが集う「銀幕閑話」恒例の「23年 私のアジア映画ベストワン」を発表します。今年はどんなコメントが見つかるでしょうか。どうぞお楽しみください。
まずは撮影環境が変りつつあると言われる香港の映画から。ペンネームかつまたさんは「私のプリンス・エドワード」をベストワンにあげました。作品について「同棲中の彼氏といよいよ結婚となり、10年前にお金のために大陸のほとんど知らない人と偽装結婚したままになっていることに焦り、なんとか離婚しなくては、と画策する香港のアラサー女性のすったもんだと、そこから得る気づきのお話」と分析してくれます。
仕事のパートナーでもある彼氏は小太りで憎めないもののマザコン気味でウザい。ニセ夫は自由を求めてアメリカ移住希望の背が高いイケメン。その対比も皮肉っぽくて面白いですが、「結局どちらも大差ないのかな」とも思わせます。さらに「自分の人生を他人にゆだねることを愛のせいにしていいのかな」とも。ラストは「状況は何も変わっていないけれど、自分の意志を通して、ちょっと吹っ切れた彼女の表情に、こちらもスッとしました。派手さはないけれど、見終わった後誰かと話したくなる佳品でした」と振り返ります。
香港映画の可能性については小林美恵子さんも熱く語っています。「銀幕閑話上では香港映画を心配されていらっしゃるとの一文を拝見しましたが、厳しい政治状況・社会状況の中でそれでも香港を拠点として映画を作る、という意志に燃えた映画を去年(23年)は沢山見たように思います。香港映画も頑張っていると思います」と述べられています。一方で「私は(投稿を呼びかけた)紀平さんのこの『アジア映画ベストワン』では別のアジア映画ファンのサークルが創設した金蟹賞とダブらないように、あえて中国語圏映画をはずす方針ですので、ゴメンナサイ」とのこと!以下、小林さんの「投票」とその理由です。
「私の今年のアジア映画ベストワンは『燃えあがる女性記者たち』(2021インド 監督・製作リントゥ・トーマス スシュミト・ゴーシュ)にしたいと思います。21年山形YIDFFで市民賞を受賞したドキュメンタリーですが、劇場公開は23年でした。19年モディ再選政権でのヒンズー教至上主義が下層民や異教徒の生活を圧迫しているという状況にあって不可触民ダリトの女性たちが立ち上げた新聞社の3人の女性記者を中心とする取材活動や、家庭生活の中での立場なども含め、状況や意思を訴えるためにスマホを駆使して活動する姿を描いています。インド社会での特に下層民の女性の置かれた立場の厳しさの中で、教育も受けられずスマホに触ったこともないような女性がリーダーの励ましやみちびきで取材に取り組み成長していく姿に励まされました。折から23年の山形では同じインドで女性監督の『何も知らない夜』(バヤル・カバーリャ)が大賞、『わが理想の国』(ノウシーン・ハーン)が市民賞を受賞したこともあり、時代的にも内容的にも同じ政治的状況を別サイドから見て重なるところにさらに興味が深まったと思えます」。
続けて次もインド映画からです。せんきちさんは「パターン」をベストワンに選びました。「『パドマーワト 女神の誕生』以来、久しぶりに日本で一般公開されたディーピカー・パードゥコーン主演作。これを推さずにいられましょうか!SRK(シャー・ルク・カーン)との相性もばっちリ。シッダールト・アーナンド監督の遊び心溢れる演出も心憎いかぎりでした。公式さんがディーピカーのアクスタを作ってくれなかったのが、かえすがえすも惜しまれます」とせんきちさんらしいコメントです。
昨年と同じ作品を選んだのはxiaogangさんです。
「私のアジア映画ベストワンは、インド(カンナダ語)映画『K.G.F: CHAPTER 1 & 2』です。去年のベストワンで強く願った日本公開が、ほんの7ヵ月後に叶ったこと自体、23年の最重大事件でした。時に複数の場面を並行して描きながら短いカットを重ねていくのがプラシャーント・ニール監督の特徴ですが、映像も台詞も時空を超えて呼応しあい、モザイクを完成させるように善も悪も超えた主人公が描き出されていく。初見のときは言葉をなくし、ただ圧倒的にすごいとしか言えなかったけれど、繰り返し観れば観るほどすべてがよくできていて、終わったあとも印象的な音楽が頭に渦巻き、すぐにまた観たくなる映画です」
インドが続きましたが、次は同じ映画大国の中国です。大阪大学大学院准教授の劉文兵さんは「西湖畔に生きる(原題:草木人間)」を推します。
「第36回東京国際映画祭において長編デビュー作『春江水暖』(19)をもって黒澤明賞を受賞した中国の若手監督グー・シャオガン(顧曉剛)の最新作。山水画のような自然描写をバックに、母と子の関係を軸に据えた家族の物語が展開されていく点において前作を受け継いでいるいっぽうで、ドラマチックで重厚な社会派作品として作風が大きく変わります。マルチ商法の詐欺グループに加わり、家族の破壊者と化した母を好演した蒋勤勤の演技と、グー監督ならではのみずみずしい映像が印象的です」
「平原のモーセ」をベスト作品に選んだのは杉山照夫さんです。「1990年代に中国東北部で起きたいくつかの殺人事件。これらの事件の発生場所の近くに住むある家庭の家族関係と事件を捜査していく刑事の姿を、並行して映画は展開されます。監督は中国の俊英-張大磊(チャン・ダーレイ)、主演は刑事時代を務めるのが董子健(ドン・ズージェン)で23年東京国際映画祭で上映されました。前半は、主人公の子供時代の視点から周囲をみつめていく過程が描かれ、後半は、主人公が成長して刑事になり10数年前におきた連続殺人事件の解決にのりだす過程が描かれます。
映画は上映時間7時間13分の6部作になっており、各章の終わりごろになると必ず新しい事件の兆候が示されて次の章に移っていくのですが、その展開が見事です。とにかく上映時間の長さを感じさせない、息を尽かせぬほど面白かったです。文句なし今年度アジア映画の私のベストワンです」。
「近年の中国映画は、『人山人海』、『氷上の殺人』や『迫りくる嵐』、そして今年の映画祭で上映された『川辺の過ち』『ロングショット』へと続く、いわゆる『中国フィルム・ノワール』の系譜につながる秀作が多いと思います。
これらの映画に見られる共通項は、東北部の地方都市が舞台であること、時節は90年代であることの2つです。中国は80年頃までに文化大革命が終わり、2000年代に入って急速に市場経済体制の社会に変貌していきます。90年代は中国社会が変貌していくそのはざまにあり、特に東北部の地方都市は大都市とちがって改革運動から取り残されていき、先の見えない不安が社会をおおっていきました。やがてその不安が広がっていき、いくつかの不可解な事件を惹起させていったのではないでしょうか。そこから『中国フィルム・ノワール』として多くの優れた映画があらわれてきました。この映画は、その系譜の頂点を示す傑作だと思います」。
さあ、次のご紹介は韓国映画からです。大阪の岸野令子さんは「極限境界線―救出までの18日間―」を挙げました。ヒョンビンとファン・ジョンミンのダブル主演が話題に。「同じような映画はありますが、ここはイム・スルレ監督を推します」ときっぱり。
ベストワンの企画を毎年楽しみにしているという柴沼均さんの推しは「あしたの少女」でした。「ヘル(地獄)朝鮮と言われるように韓国の若者の失業率は高いことが社会問題になっています。ソウルの大卒ですら大変なのに、地方都市の高卒ならばなおのこと悲惨な状況になっている実情を、日本公開映画で初めて見て大変なショックを受けました。
絶望的なのは巨悪がいないことです。会社の上司も担任も両親もおそらく普通の人なんでしょうけれど、狂ったシステムの前に逆らいようもない。例えばナチスとか欲深い権力者が悪役だったら観客の怒りはそちらにいきますが、本作は怒りの矛先がどこにもいけません。もしかすると日本でもこういうところがあって、自分が加害者になってしまうかもしれないという怖さがありました。
ぺ・ドゥナは彼女でしかできないよう力強い存在感をみせてくれますし、新人のキム・シウンが決して美人ではないのに、この年の純粋ながらの美しさ、そしてそれがぼろぼろに崩れていく大人の汚さとの対比をみせてくれます。ライティングやサンダルなどの小道具も含めた演出も素晴らしい。なお、韓国でこの映画が話題になって、高校生の実習についての法規制が強化されたこと。映画で社会をよくする力が日本よりはるかにあると思わされました」
ベストワン初参加のペンネームminoさんにも聞きましょう。「2023年ほど悩んだ年はありません。結論から言うとベストワンは『富都青年』です。マレーシアに限らず無戸籍者は確かに存在しているのに、行政には見えていません。私たちが当然の権利として無意識に享受する普通の暮らしを、彼らは持てません。その無念さを、シンプルな言葉(手話)で圧倒的な凄みを持って訴えるウー・カンレン。弱者に温かい視線を向け続けてきた監督と演技派助演陣はマレーシア人、主演は情感深い台湾人、撮影はインド人。すべてががっちりと噛み合い、魂に染み入る作品でした」。ちなみにminoさんが本作品とベストワンを最後まで争ったのはタミルノワールの「焼け焦げた森/第1章:発火」だそうです。
えどがわわたるさんのお勧めは台湾映画「僕と幽霊が家族になった件」です。「ここ数年インド作品で投票しましたが、久々の台湾作品です。日本では配信作品だったのですが、限定劇場公開の際に見ました。『紅い服の少女』のチェン・ウェイハオ監督が、ホラー+コメディーに仕立てた作品。日本では殆ど見られない”冥婚”を題材にしていますが、死んだ若者がゲイという設定で、LGBT肯定者、否定者の両キャラクターを登場させて笑いをとれる点に、台湾が歴史の中で形成されてきた共生社会の進展を感じさせてくれます。テンポの良いストーリー、グレッグ・ハン、リン・ボーホンの好演で楽しめました。台湾行ったら、落ちている紅包を拾い上げてはイケナイと、勉強になりました(笑)」
いよいよベストワンの発表です!
実は驚きの結果となりました。今年は2作品に対する投票数が同数に!1位のダブルは初めてだと思います。
まずベストワン1作目はこちら。香港映画の「星くずの片隅で」です。
graceさんは「映画祭でこの作品を拝見し大感激でした。一般公開されたことも嬉しかったので『星くずの片隅で』に1票。あちこちで言われていますが、ノワールでもアクションでもない香港映画がもっともっと一般に認知されてほしいと思います。市井の人を優しく描く香港映画の系譜にまたひとつ名作が加わったこと、素敵な邦題で、全国公開されたことが本当に嬉しいです」と香港映画の新たな潮流に期待を寄せます。
続いてyuzukiriさん。少し長いですが全文を載せさせていただきます。
「『私のアジア映画ベストワン』毎年1つに絞るのが難しいのですが、2023年は10本くらい枠がほしいくらいです。なぜならたくさんの香港映画が傑作揃いだったから。どうしても挙げたい『毒舌弁護人』『年少日記』『星くずの片隅で』の中から、泣く泣く2本落として『星くずの片隅で』を選びます。
『少年たちの時代革命』共同監督の一人ラム・サム監督は次回作も期待できる若手監督ですが、かなりストレートな内容ともいえる『少年たち…』の次に、『星くずの片隅で』というより多くの人に届きそうな映画を作ってくれて、そして日本で公開されたことがうれしいです。映画の中で好きなところはたくさんありますが、冒頭の、ザク兄貴が若い母娘を見下ろす場面がまず良いし、そこへかぶる音楽もとても良いです。2023年は、この作品の他にも映画祭に続いて一般公開された『香港の流れ者たち』やまさかの『毒舌弁護人』まで公開された年でした。映画祭で上映されたほかの香港映画もできるだけ多く一般公開されますように。」
そしてもう一つのベストワン作品となったのは、台湾映画「ミス・シャンプー」。吉井さんの推薦の弁を早速伺いましょう。「コメディーですが、泣かせるところは泣かせる感じで(実際には泣きませんでしたが)、『トメハネハライ』の効いた九把刀らしい作品だったなと思います。(投稿の際)私の身体が病んでいたので、こういう作品を欲していたのかもしれませんが…。」 どうぞお大事になさってください。
いかがでしたでしょうか。今回のベストワン、2位以下はほとんど差はなかったため、順位は1位だけを発表させていただきました。その代わりに皆さまからの熱い投稿は一部修正の上、可能な限り全文そのままで収録させていただきました。
ところで毎年フィリピン映画を推薦されるよしだまさしさんに異変が起きました。その弁が面白いのでご紹介しましょう。「本音をいえばフィリピン映画をベストワンにあげたいところですが、相変わらずエロティックスリラーを量産しているビバフィルムの作品ばかりが目につき、良質の作品が影を潜めているような状況が続いています。クリスマスシーズンになって、ようやく面白そうな作品が何本も劇場にかかっていますので、これからそうした作品を観ることができればいいのですが。とりあえず、東京国際映画祭で上映されたポール・ソリアーノ監督の『漁師(The Fisher)』が、昨年観たフィリピン映画のベストとなります。
ですが、アジア映画のベストワンとしては別の作品を選ばせてください。東京国際映画祭で上映され、NETFLIXでの配信も始まったギデンズ・コー監督の『ミス・シャンプー』が私のベストワンでした。
とにかく楽しくて、徹頭徹尾笑いっぱなしでした。下品な下ネタをあれこれ盛り込みつつも、強面のヤクザが恋に落ちたら意外と純情な男だったというギャップが産み出すあの手この手のギャグのつるべ打ち。そのくせ、血なまぐさい抗争なんかもあったりして、かと思うと野球バカの泣かせるエピソードも盛り込み、そしてまたしても血まみれに。その血まみれの絶体絶命の場面で、目と目で会話をかわすというネタでくすぐったりして、最後にはとんでもないネタが炸裂。
エンドクレジットが始まるなり席を立って帰っていった観客もいましたけど、この映画はエンドクレジットの最後の最後までちゃんと観てくださいね。尻尾の先までアンコの詰まったタイヤキのような映画なのですから。
ギデンズ・コー監督、『赤い糸 輪廻のひみつ』もとても楽しい映画で、いまさらのように、なんで『あの頃、君を追いかけた』を観なかったんだ!とたいそう後悔しています」
ここまで読んでくださったアジア映画ファンのみなさん、いかがでしたでしょうか。今回のアジア映画ベストワンはこれでお終いです。それにしても魅力的な映画とは「尻尾の先までアンコの詰まったタイヤキと同じ」だなんてうまいなあと思います。今年もたくさんの甘くて面白いアンコ入り映画に出合いたいものです。
最後になりましたが私自身のアジア映画ベストワンを紹介します。それはインド映画『パターン』です。主演のシャー・ルク・カーンがカメオ出演のサルマーン・カーンと互いの健闘をたたえながら二人でまったりしていると話はいつの間にか次世代スターの品評会に。このわずかなシーンにインド映画の現状と課題を浮き彫りにしつつ、まだまだアーミル・カーンも含めた3大カーンの活躍を見ることが出来そうと安堵もするのです。
改めまして、ご投票いただいた皆様、ありがとうございました!
【紀平重成】