第729回「アルツハイマーと僕 ~グレン・キャンベル 音楽の奇跡~」
本作は2011年に自身のアルツハイマー病を公表したアメリカのミュージシャン、グレン・キャンベルが家族と共に病と闘いながら2年半にわたり151回もの公演を敢行した奇跡の記録映像だ。体調が悪く舞台で失敗しても笑顔を絶やさず一生懸命歌い続ける彼の姿に観客は感動し、医師も「これだけ(日常生活を)キープできているのはおそらく好きな音楽を続けているから」と励ます。見終わってみれば偉大なミュージシャンの人生の記録であり、彼と家族の旅路を通じて人はどう生きればいいかを考えさせられ、また美しい音楽に酔いしれつつ認知症についても理解を深めることができる稀有の作品であることが分かる。
始めにグレン・キャンベルの音楽・エンターテインメント業界における50年近いキャリアを説明しておこう。「ジェントル・オン・マイ・マインド」や「ラインストーン・カウボーイ」等の名曲をリリースし、ポップスとカントリーという音楽の垣根を越えた活躍でグラミー賞など数々の賞を受賞。ソロアーティスト以外でも彼の伝説的なギター演奏はビーチ・ボーイズの「ペット・サウンズ」やフランク・シナトラの「夜のストレンジャー」等の名盤で楽しむことができる。
そんな彼が映画の冒頭、妻のキムと家族の古い映像を見る印象的な場面がある。
テレビに向き合いながら「あれは誰だ?」「あなたの最初の子よ」。混乱するグレン・キャンベル。それでも忍耐強く対応する妻。「(これが)あなたの映画になるのよ」「まさか。僕は僕だよ」と驚きながらも説明を受け入れていく。昔の映像が脳に刺激を与えているのだろう。また忘れても説明すればいい。その繰り返し。身近にいる家族には辛い現実が淡々と明示されていく。うまい導入部分だ。
作品はアルツハイマー病と闘いながらアメリカツアーを続けるわが姿を撮影してほしいグレン・キャンベル当人と、リスクを覚悟しながらも彼の思いをかなえてあげたい妻や家族、さらにアルツハイマーのイメージを根本から変えようという一家の考えに賛同するジェームズ・キーチ監督ら撮影チームの意向が一致し、1300時間以上のフィルムが回された。
バックバンドには末娘のアシュリー・キャンベルら3人の家族も参加し父を励ました。ギターの彼とバンジョー担当のアシュリーによる演奏合戦は芸術的にも圧巻。その一方で演奏の合間に続けられるトークで人の名前など単語が出ない場合でも、慌てずに「皆さんはこんな体験無い? 台所に行って、はて、何しに来たんだっけ?と」。記憶の衰えを隠さない本音トークに観客は温かく大きな拍手で返すのだ。
そんな気丈な彼に音楽関係者は「失敗してもいい。昔の通りにはならないんだから。やらせればいい。一生懸命の彼の姿を見て観客は喜ぶんだ」と見守る。U2のジ・エッジも「会場の観客が彼に脳へアクセスする力を取り戻させたんだ。すごいことだよ」と音楽の力を強調する。
認知症の専門医もコンサートの様子を聞いて「(脳内の)音楽的領域が広がっているんだと思います。そのため公演も続けていられるし、ほかの機能にプラスになっているのでしょう」と推察する。
グレン・キャンベルはこう語る。「アルツハイマーになったことは不幸かもしれない。でもこう思う。僕を通じてこの病気のことをもっとみんなに知ってもらおう。これこそが僕にとっての神の恵みだ。アルツハイマーの認識を広め、ほかの患者たちの役に立ちたい。そうなれたら最高だよね。がんばるよ」
映画には著名人も続々と登場する。ポール・マッカートニーは演奏会場の楽屋に駆け付け「愛してるよと伝えたいだけで来たんだ」と興奮気味に声をかける。元米大統領のビル・クリントン氏も「彼が遺す伝説は音楽以上のものになるよ」というスピーチを発表している。
病状は波があり、そばで見続けている妻の苦悩もきちんと描写される。ハラハラしながら行われた最終公演。音楽的には成功したとは言い難い散々な内容でも、観衆は温かい拍手を惜しまない。結果的に思い出深い最高の公演になるよう手を貸してくれるのだ。
ツアー終了の数か月後。キーチ監督は「この映画のためにも頑張ってくれた」とグレン・キャンベルをねぎらう。「そう思ってくれたらうれしいよ」と彼。続けて「僕は君に出会えてよかった……君が僕に出会ったのかな」と笑わせる。認知症が進んでもまだ人を喜ばせ笑わせる力があるのだ。
2017年8月8日、81歳で逝去。
「アルツハイマーと僕 ~グレン・キャンベル 音楽の奇跡~」は9月21日より 新宿シネマカリテほか全国順次公開【紀平重成】