追悼・再掲載 第65回「李香蘭に拍手」 2005年9月5日
「日劇七回り半事件」という言葉を聞いて、すぐ李香蘭(山口淑子さん)を思い浮かべる人は相当にお年を召された方であろう。「いや、それなら知っているよ」という若い世代の人たちもスクリーンの中で実際に動いている李香蘭を見ている人はそれほど多くないはずだ。その銀幕のヒロインをこの夏、「見る」機会があった。それも日本国内では戦後初めて、実に61年ぶりに上映される『萬世流芳』(ばんせいりゅうほう)をである。
東京国立近代美術館フィルムセンター(東京・京橋)が海外からの里帰り作品も含め新たに収蔵したり復元、修復した映画56本を7、8月に特集上映したもので、この中に満州映画協会(満映)のスターだった李香蘭の出演作『萬世流芳』が含まれていた。
上映はわずか2回。1回目は満員で入れなかったという友人らの声に用心し、2回目となる日曜午後には開映の2時間前に駆けつけたが、早くも長蛇の列。人並みはロビーからあふれ、階下の小ホールまで続く。これは現代の「日劇七回り半事件」ではないか。
1941年に李香蘭が初来日すると、日中二つの言葉を自在に話し美人で歌も歌える彼女を一目見ようというファンが有楽町の日劇を取り囲んだ。行列は七回り半に達し、入れないで興奮する群集の整理に警察官まで動員されたという事件である。
もちろん本物のスターを直接見るのと銀幕の中とでは状況は違う。しかし若者に交じって李香蘭と同世代と思われるオールドボーイ、オールドガールが何度も階段を上り降りし、立ちどうしで2時間近くも待つという難行苦行をいとわない。普通の映画館とは少し違う静かな熱気とでもいうような空気があたりに満ちているのである。結局開映1時間前の3時過ぎにはまたも満席となり、諦めきれないで入り口にたたずむファンが続出した。
『萬世流芳』は42年に満映と中華電影などの合作映画として作られた。アヘン戦争の英雄、林則徐の活躍を描いた娯楽大作で、李香蘭は恋人をアヘン中毒から立ち直らせる飴売り娘を演じている。日本では44年に公開されただけで幻の映画とされていたが、中国電影資料院にフィルムが保存されていた。
映画は満映等の制作側の意向で、英国の横暴ぶりに清国政府と民衆が抵抗するという形をとりながら、当時の国際関係を反映し反日愛国主義の意味が込められた。しかも李香蘭をはじめ『木蘭従軍』(1941年)の陳雲裳や袁美雲ら当時のトップ女優が勢ぞろいし、中国では記録的なヒットになったという。
さて李香蘭である。私は以前、同じフィルムセンターで『木蘭従軍』を見て以来、陳雲裳のファンなので、最初から出ずっぱりの彼女の姿には十分に満足しているが、もう一人のお目当てである李香蘭がなかなか出てこない。
待つこと1時間。あっ彼女が、と思った瞬間、前の方の席から拍手が起きた。この時を半世紀以上にわたって待ち続けた高齢のファンであろうか。どよめきが場内に漏れる。観客の期待に応えるように、彼女は美声を響かせアヘンの害を歌う。恋人はもちろん他の男たちもうっとりと聞きほれる。またそれを観客が堪能する。準主役の役回りでいながら強く印象を残す場面である。スターの放つオーラであろう。
個人的に笑えたのは中国人俳優が演じるイギリス人たちだ。つけ鼻に金髪のカツラ。その彼らが中国語を話すのである。今ならイギリス人自身が出演し字幕が付くところだ。しかもイギリス人役は特に小柄で、逆に林則徐役には中国人の中でも大柄な高占非を配していることである。英雄をより偉大に見せるための演出? それともジョーク?
監督は卜萬蒼、馬徐維邦らベテランの監督ら5人。船頭多くして……ということなのか、あるいは反欧米、反日相反する二つの政治的メッセージを同時に込め、しかも娯楽作品としても楽しめる作品に仕上げるための宿命なのか、151分という極めて長い作品になった。待ち時間も含めると5時間余り。シニアでなくとも体力を使うはずだが、不思議と疲労感はなかった。「再上映してほしい」「DVDにならないの?」。そんな多くの声を聞いた。
国境を越えて合作ばやりの今、配役、脚本、言葉をどうするかといった問題を考える際の原点となる作品である。【紀平重成】