第511回 「世界一美しいボルドーの秘密」
ワイン好きの人は多いが、いまボルドーで何が起きているかに関心を寄せる人はどれだけいるだろうか。このドキュメンタリーは、世界有数の品質とブランドを守るためいかに生産者たちが心血を注いでいるかを描いているだけでなく、ワインは金(ゴールド)より投資する価値があると考える中国など新興国の資産家たちが価格を天文学的に吊り上げている様子を余すところなく見せつける。ワインはわれわれの友であり続けてくれるだろうか。
映画の序盤はフランスのボルドー地方で400年にわたって作り続けられるワインの賛歌と言えるかもしれない。1855年のパリ万博でナポレオン3世が初めてワインに格付けをしたことから、ボルドーのワインは“第一級”の称号与えられ、栄光の地位を歩み始めた。世界最高峰のワインというブランドを維持するために、代々の生産者は惜しみなく努力した。土質や気候を知り、最適の品種を選び、栽培法を改良して来た。
ある生産者はこう語る。「昔の経営者には感謝している。わたしたちはただ受け継ぐだけでいい」
もちろん彼らが何もしていないわけではないが、ボルドーのワインというブランドを持つだけで市場では高く売れる。ワイン評論家たちは口々にボルドーのワインを絶賛する。「単なる農作物ではなく奇跡だ」。
いいワインをその価値を知る者が正しく評価し、それを市場が正しく受け止める。その良き関係がここに来て崩れ始めようとしている。それも急激に、そして過激に。中国をはじめ新興市場が急速に存在感を増し、世界の主なワインオークションではボルドーのヴィンテージワインが次々に買い占められて行く。
ワイン収集家の中国人女性はこう言う。「ただ手に入れたいだけよ。飲むかどうかは分からない」。中国の別のワイン収集家は「(オークション会場で)そのワインが手に入るまでずっと(手を)挙げたままさ」と事もなげに言う。ヴィンテージワインへのご執心ぶりは想像を絶する。本当にワインを愛しているのかと批判するのはたやすい。かつては日本も似たようなことをやっていたし、伝統を重んじる欧米の諸国でもそんな時があった。ワインは人々を魅了し、時に狂気へと走らせる魔性を持っているのかも知れない。
そんな空気を揶揄するような驚くべき映画の1シーンが挿入される。直前に女性がこう強調する。「90年代の香港ギャング映画でも(ワインの)名前が出たのよ」。そして映画のシーン。レストランの中庭で、1人の男が仲間に「マテウスを飲むか?」と声をかける。すると別の男が叫ぶ。「82年のラフィット以外はクズだ」。それを合図に激しい銃撃戦が始まる。
女性の説明では90年代の香港映画とされているが、このシーンは明らかにジョニー・トー監督の「エグザイル/絆」(2006年)だ。説明の誤りは御愛嬌だが、香港・中国でのヴィンテージワインへのこだわりぶりが劇映画でも紹介されているユニークな事例と言えるだろう。
続いて映画は中国というワイン新興国が独自のニーズを生んで行く様子を伝える。ワインの生産者が中国人が好む数字の8に合わせ08年生産のワインのラベルに「八」の字を刷り込んだ。やり過ぎだろうかと尋ねる生産者にコンサルタントは「マーケティングで市場を知ろうと努力していると訴える戦略に使える」とアドバイスする。
別の業者は08年のラフィットを80箱以上即決で買うというマカオからの顧客の注文に応じ「とてもおいしい取引だった」と笑う。数字の8にこだわる中国相手だからこそ成り立つ商売というわけだ。
ワインという金のなる木に“目覚めた”中国ではワインの買い占めにとどまらずワイナリーを丸ごと買収したり、内モンゴル自治区の寧夏回族自治区にボルドーのレプリカのような大シャトーを作り始める。「40年以内に世界最大のワイン生産国にする」と経営者は強気だ。そしてやはりと言うべきか、ワインにまで偽物が登場する。中国国内に出回る82年産のラフィットは、その年にボルドーで生産された数より多いという怪現象。当然ラフィットの空き瓶が500ドルで取引されるという違法行為も関与していることだろう。良くも悪くも、まさに中国が世界のワイン市場を掌握していると言ってもいいだろう。
世界のワイン生産量のすべてを提供しても中国の需要を満たすことは難しいという時代が近い将来訪れるかもしれない。しかしボルドーは意外に冷静だ。「価格が天まで上がることはあり得ません」「危機の後には必ず再生があった」。その自信に満ちた予言が当たることを祈りたい。
「世界一美しいボルドーの秘密」は9月27日よりヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国順次公開【紀平重成】
【関連リンク】
「世界一美しいボルドーの秘密」の公式サイト
http://www.winenohimitsu.com/