第630回 「ローマ法王になる日まで」のダニエーレ・ルケッティ監督に聞く
ローマ法王フランシスコが、社会は「壁ではなく橋」を作るべきだと発言し、暗にトランプ米大統領の移民政策を批判したのではないかと話題になった。実際、米大統領を念頭に置いての発言だったかどうかは、本人の胸の内を聞いてみないと分からない。でも法王ならきっと言ってくれるだろうと思わせるのが、この作品である。母国アルゼンチンの軍事独裁政権下に多くの仲間を失い、貧困地区の人々に寄り添うなど、史上初のアメリカ大陸出身の法王となるまでの激動の日々が描かれている。ダニエーレ・ルケッティ監督に製作の舞台裏を聞いた。
−−法王役のロドリゴ・デ・ラ・セルナさんの演技が大変素晴らしかったですが、彼をキャスティングする際にどのようなことを期待されたんでしょうか?
「彼は非常にエモーショナルなものを出すことができて、しかも知的である。演技もそうですし、人物を解釈する上でもそれができる役者です。でも彼は、自分には宗教は関係ないし、法王にも興味がない、と最初は断ろうとしました。で、そう言わずに脚本だけでも読んでくれと言ったら、脚本を読んで2、3時間後に、やるよという話になった。たぶん、この脚本の中に自分の仕事としてできる要素を見つけたからだと思います。その後は色々と調べたそうです。一番問題になったのは、自分は全然法王に似ていないということ。どうしよう、と聞かれたんです。それで、別に法王に似なくてもいいから、どこか彼を思い出させるようなことをしたらいいと言ったんです。例えば言葉のアクセントとか。法王と彼は同じブエノスアイレス出身なので、それを活用することができるし、ちょっとした癖を挟むことで、少しずつ彼の印象を与えることができると。そういう作業をしたわけです。この映画を撮り終わって、イタリアの非常にポピュラーな雑誌の表紙に、実際の法王と彼の2人それぞれ若い時と年を取った時の写真計4枚を載せ、そっくりですね、という風な表紙が作られたぐらいです。彼がそういう内的な作業をしたおかげで、実際に似ていると人に印象づける結果を生むことができたと思います」
その法王ホルヘ・マリオ・ベルゴリオは1938年、イタリア移民の子としてブエノスアイレスに生まれた。大学で化学を学び、20歳の時に神に仕えることが自分の道と確信し、イエズス会に入会。やがて指導力が認められ、35歳の若さでアルゼンチン管区長に任命される。だが、アルゼンチンでは軍事独裁政権による恐慌政治が強まっていった。
−−宗教に拠らない一人の人物像として描かれている部分があると思いますが、演出でこだわった部分を教えてください。
「まず人間についての物語ということを考えました。宗教的な話は、私はカトリックではないので分からないことですが、人間的な部分では共感することができる。彼がどういう風に政治や社会に関わったかという物語を描くことができました。この脚本は何度も書き直したんです。最初に渡されたものは、すごく定型的な『これで彼は法王になった』という、いわゆる古典的な脚本でしたけれども、そういう聖人伝的な要素を全部なくして、人間の物語にするよう心がけました」
−−仮に監督が法王にインタビューできるとして、そこで聞き出した話と今回の作品とに食い違いがあれば、もう一度別の作品を撮りたいと思いますか?
「この映画は想像上の物語です。実際には知らない人物のことを、自分が集めた証言にもとづいて作った映画ですが、もしも本当に会うことができたら、実際の法王の姿からは遠ざけようとしたかもしれないですね。以前、東京国際映画祭(2007年)で『マイ・ブラザー』という私の作品が上映されました。それはイタリアで有名な作家の自伝です。映画化する時に本人と会うことができましたが、作品の構造を残しつつ、脚本をすべて書き換えました。本人が出来上がった映画を見た時に『これはおもしろいし、いい映画だけど、自分とは全然関係ない』と言ったのです。自分はどこにもいないと受け取ったわけですね。現実優先の法則とでもいうものはあるかもしれないですが、映画として描くときには映画や説話としての法則があり、そちらを大事にしなくてはいけないわけです。もしも法王に実際に会うことができたら、もっと法王とは違うものにするかもしれないですね」
−−今回は海外での撮影がほとんどでした。俳優もアルゼンチン人が中心ということで、大変だった部分はあったでしょうか?
「基本的には全くなかった。むしろ非常に協力的なスタッフを選ぶことができました。アルゼンチンで映画を撮るときに何よりも気をつけたのは、観光映画にならないようにしたことです。アメリカ人がイタリアで撮るような、そういう通俗的でありきたりな場所で撮り、ありもしないようなことを映画にする、そういう映画にはしたくなかった。ですから本物の場所を選ぶということで、アルゼンチンのスタッフに気をつけてもらいました。ただ拷問のシーンとか、飛行機から行方不明者を落とす場面がありましたけども、あのシーンはアルゼンチンのスタッフにとっては最近の事件ですし、ほとんどの人の身内に犠牲者がいたので、そういう場面を撮影するのは非常に辛くて、アルゼンチンで撮ることはできず、そこだけはイタリアで撮らざるをえなかった」
−−枢機卿の秘書が、訪れて来たベルゴリオに「あなたは赤なの?」と聞いて、ベルゴリオが逆に「あなたは?」と聞いた。それで「どうも(私とは)反対側みたい」とつぶやくシーンが気に入ってるんですけれども。そのへんは悲惨な事実が続く中でちょっとした救いでした。意図的に挿入されたんでしょうか。
「ベルゴリオは非常にユーモアのセンスが優れていた人で、いろいろな人から聞いた話ということもあって入れたんです。あとイエズス会の神父さんというのは質問に対して質問で答えるっていうことを割とよくするみたいですね。そういうこともありました。神父が右なのか左なのか中道なのかっていうことはよく聞かれることですが、アルゼンチンではあまり意味がない。イタリアでは右か左かって非常に重要なことですけれども、アルゼンチンではみんな違っていて、そうではない。でもあの場面では秘書がああいう風に言ったのは、自分は革命の側にいると言わせたかったわけですよね。罠にはめようと思ったけれども、ベルゴリオはそれに対してユーモアで答えたという、そういう場面です」
−−彼は自分の信念にしたがって行動を起こした人物と感じましたが、監督は仕事に対する信念や人生における信条というものがありましたらお伺いできますか?
「自分としては、自分の人生から切り離されない仕事をしたかった。よく働いている人は何時から何時まで働いて、その間は仕事で、それが終わってから初めて自分の生活が始まるという風に言う人がいますけど、自分としては小さいころから人生そのものであるような仕事をしたかった。自分にとっては映画を撮るというのは呼吸するのと同じぐらい自然なことです。別にヒットさせたいとか、人に受けたいとかそういうことではなくて、やっているときに情熱を感じて、人生そのままの続きとして仕事をすることができているわけで。もしも給料をもらって、誰も見ない映画を撮れと言われたとしても、それでも映画を撮っていたいと思うし、お客さんがいればそれに越したことはないけれども、自分は物語ることが好きなので、それが自分にとっての人生であり仕事になっていると思います」
−−ちなみに今後こういう作品が撮りたいというものはありますか?
「以前はそういう風に、自分はどういう風な映画を撮りたいか、どんなテーマをやってみたいかということを考えていたんですが、最近は直感的に思いついたものをやるようになっています。実際のところ、このあと2、3本の作品が決まっていますし、衝動的に決めているところがあります。撮り終わったばかりの作品はイタリア式コメディの伝統をもう一度再現するような映画で、非常に貧富の差がある話です。今回の映画は良心に訴えるような作品だったので、次はもうちょっと悪い奴らの話にしようと思っています。イタリア式喜劇というのは非常に高いレベルのコメディを作っていたと思いますが、今のお客さんにももう一度見せたい、もう一度それを取り戻したいという気持ちがあります」
−−映画の中でけん玉のシーンがありました。彼の心の焦燥を癒やすというシーンなのかなと思いましたが、あれは本当にあったことなんでしょうか。
「あれは美術の人が見つけたものです。彼が子どものときに持っていたかもしれないものを探してくれと言ったら持ってきて。ベルゴリオが母親に会いに行ったときに、彼は45歳になっているわけですが、子どものときに遊んでいたものを見つけて遊びだします。そういう雰囲気を出したかったのです」
−−実際にけん玉というのはアルゼンチンでは使われているんですか?
「あるそうです」
(通訳)「日本だけじゃないみたいです」
−−不思議ですね。
「もしかしたら日本人が持っていったのかもしれません」
−−日本の観客にこの作品を通して伝えたいことなどがあればメッセージをお願いできますか?
「メッセージになるかどうかは分からないけれども、この映画の中では人間が何度もやり直す姿を描いているように思います。最初は独裁という地獄の時代を味わって、その次はドイツに送られて囚われの生活を余儀なくされるわけです。その後は地方に送られて。まあ左遷されるようなものだと思いますが、そこの生活に甘んじて、次に枢機卿として呼ばれるわけです。枢機卿の仕事というのは彼がずっと仕事をしていた貧しい人たちとはちょっと距離を置かなければならないような仕事だったりして。その後は、この映画では描いてないですけれども、法王にもしかしたら選ばれるかもしれないというところで、彼は結局選ばれないわけですよね。もう高齢になって、そろそろ引退か、と思っていたところになんと法王になるというニュースが飛び込んでくるわけですね。だから何度も何度も彼は人生をやり直してきたということがある。そういう可能性は人生にはあるんじゃないかという風な感じを持っています」
−−軍事独裁政権時代に海軍大将と面会した彼が「世界はなぞの大量失踪事件をどう見ているか」と半ば脅しをかけるシーンがありました。あれは実際にあったことですか?
「ディテールに関してはあの通りではなかったかもしれませんが、ああいうことがあったと法王も語っていますし、実際に裁判があったわけですけれども、裁判の中でも述べられていることです。どんな口調で述べたか、大体の内容のことも話しています。あの言葉はアルゼンチンの共同脚本家が書いたんですけれども、非常に書くのが難しくて。やはり大将の方は彼のことを軽んじているわけですよね。でも彼は非常に怒っていて、なんとか外交的な態度をとっているんですけれども、ある意味脅すわけです。そういう内容に関しても現実的な描き方をしています」
−−法王になる人の政治力というか、精神的に強い性格がよく出ているところだなと思いました。
「彼は必要なときにはハードにやる方ですよね」
もう一度、冒頭の「壁ではなく橋」をという発言を振り返ってみても、やはり今の法王なら口にしそうだなと、あらためて思った。法王のこれからの言動とともに、日本への関心の強いといわれる法王が日本を訪問されるのかどうか、注目したい。
「ローマ法王になる日まで」は6月3日より東京・ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿シネマカリテ、YEBISU GARDEN CINEMAほか全国順次公開【紀平重成】
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