第648回 ラモツォの亡命ノート
チベットは、中国による政治的、文化的な同調圧力に常にさらされているため、チベットを舞台にした映画の中では被害者として描かれることが多い。しかし、この作品は政治犯の夫の釈放を待つ亡命女性、ラモツォの健気でたくましい生き方を中心に据える。小川真利枝監督の劇場初公開作品。
ラモツォが次々と押し寄せる荒波に憶することなく、しなやかに乗り越えていく姿は、亡命先のアメリカで滑らかに車を走らせる冒頭のシーンからもうかがえる。「車の運転が大好き」という彼女が語り始める亡命ノートの中身とは。
彼女の予想もしない人生の変転のきっかけになったのは、夫のドゥンドゥップ・ワンチェンが2008年の北京オリンピックに異を唱える映像を発表し、「国家分裂扇動罪」で捕まったことだ。身の危険を感じたラモツォと4人の子どもたちは標高4000メートルの山を越え、インドのダラムサラへ向かう。
ダラムサラは、ダライ・ラマを中心とするチベット亡命政権やチベット仏教文化の拠点となっている。この街角で彼女は未明から焼き始めたパンを売り、子どもと義父母の計6人を養った。学校に行かなかったため文字の読み書きができないラモツォが日記替わりに残し続けたのは、ビデオカメラに向かって彼女が語る80時間もの映像だった。
そこには、政治犯の家族として欧米に亡命するのに必要な招待状の発行を待つ間のもどかしさや、家族や義父母を置いてスイスに単身向かう際の心の揺れも映っているが、まずは亡命し、拠点を作ったうえで子どもたちを、そしていつか夫を迎えたいという強い思いがうかがえる。
12年、ラモツォがスイスからアメリカのサンフランシスコに渡り、金門橋を望む高級住宅地に住む年老いた男性の身の回りの世話を住み込みで行う仕事を見つける。理解のある家主で、やがて4人の子どもたちも合流する。スーパーでの買い出し、浜辺での散策、お金があれば自由に何でも手に入れることができる生活。故郷の姿から見れば別世界のような暮らしを横目で見ながら、チベット式の宗教行事である「五体投地」を欠かさず行い、懐かしい料理に舌鼓を打つ。
夫が政治犯とされ自由を奪われているという事実も映画の中で紹介されているが、家族を一つにまとめる彼女の日常が力強く描かれていく。前半は家族がバラバラとなり見通しもつかない大変な一家とすれば、後半は居場所を見つけ結束を強めていく一家を描いたと言えるだろう。
空港で再会した際に娘の一人が何気なく発する「ママ、老けたね」という言葉には、正直な感想と同時に、母親の苦労をねぎらう家族ならではの思いやりも感じた。また長女が将来は弁護士になりたいと話しているのは、難民認定から始まり、仕事先でも差別を受けるなど苦労している母親や同胞たちの姿を見ての感想だろう。抑圧には立ち向かうといった親世代のDNAが着実に受け継がれていることを示している。
小川監督によると、映画の制作資金を集めるためクラウドファンディングを利用し、ここでの反響の大きさが公開決定の「指標」になったという。軽量化カメラの普及とともに映画製作における障壁の低減要因と言えるだろう。
18日にはサンフランシスコからラモツォが駆け付け20日までの3日間、ポレポレ東中野で上映後のトークを予定している。
「ラモツォの亡命ノート」は11月18日よりポレポレ東中野にて公開【紀平重成】
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